リテラシー

リテラシーは元々「読み書きの能力」という意味のようです。あまり多用する言葉ではありませんが、ネット社会ではしきりに情報リテラシー、メディアリテラシー、ITリテラシーという言葉が使われています。

情報リテラシーは調べる能力の高さのことを言うことが多いです。メディアリテラシーはマスメディアやネットメディアの情報を分析・評価・選択する力、ITリテラシーは情報技術への理解力です。

Twitterが登場した頃、以前いた職場の同僚から紹介され、米国のあるソフトウェア開発者が制作したiOS用Twitterクライアントの日本語対応の手伝いをしました。私自身もiPhoneやiPad用のアプリケーションをAppStoreで配布・販売した経験がありますが、ユーザーのフィードバックを見ることができて面白いものです。その開発者は日本人ユーザーはリテラシーが最も高い、フィードバックの質が高いと言っていました。

その高いと言われた日本人のリテラシーですけれども、先取の精神のあるユーザーはそもそも情報リテラシーやITリテラシーが高いグループに属しているので、日本人全体に当てはまりません。

SNSに登場によってインターネットがテレビ化しました。テレビの代わりにネット動画番組を視聴する人も多いでしょう。テレビに比べると能動的な姿勢が必要ですが、最近はサービス側からのプッシュ型情報(広告やおすすめ、投稿の人気に応じて並べ替えられるタイムラインなど)に引き摺られてかなり受動的になっています。以前は「テレビを観ると馬鹿になる」などと言われていましたが、情報リテラシーやメディアリテラシーが不要のプッシュ型情報に引き摺られていると「ネットを観るとバカになる」と言われかねません。テレビには扇動装置という側面がありますが、情報量の多さや情報伝達の速さなどもありSNSはテレビ以上の扇動装置かもしれません。これからはAIを使ったディープフェイクがたくさん入り込んでくるので危険度は増します。

ITリテラシーは全般的にもっと高くなった方が良いと思います。

カミソリは髭を剃る便利な道具ですが使い方を誤れば怪我をします。小さな子供はともかく、ある程度の年齢になればカミソリの危険性を知って使うようになります。

コンピューターも道具の一つですが使い方がわからない人が多いように思います。

例えば、メールアドレスを発行して配っても自分でスマートフォンやPCのメールソフトの設定ができない。よくわからないから触りたくない。面倒くさいからやりたくない。これが人間の性です。

メールは送信用のサーバーと受信用のサーバーがあって、それぞれに使用するネットワークポートがあって、認証方式があって・・・・

仕組みがわかっていれば難しいものではないのですがそれを知る意欲がない。

私としては知らなかったことを知ることができたら嬉しいと感じますが、その段階までなかなか行きません。「知りたいと欲する」ことも人間の性だと思いますが「楽をしたい」という欲望の方が強いのかな。

モノづくり塾では「いろいろなことに興味を持てる」ように運営しようと思っています。たかだか60坪の上野原の敷地内にいろいろなものを散りばめます。いろいろなことをやれる状況を作ります。眼の前にあれば知らなかったことに興味を示す人もいるかもしれない。私自身は毎日1つは新しいことを知るという訓練を続けています。モノづくり塾で一緒に活動をすれば、塾生も毎日1つは新しいことを知る機会が持てることになります。世の中は知らないことだらけですから延々と学習が持続することになります。頭も心も柔らかくして知ることを楽しんで欲しいと思います。

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