最近はパパ、ママ、ランチ、マルシェ、アートなどのカタカナ言葉が氾濫していますね。外資系のコンピューター企業に勤めていた頃、同僚を昼食に誘うときや同僚に誘われるときでも「ランチに行こう」とは言わなかったです。西洋かぶれしているみたいな印象があって嫌われていました。外資系企業でさえそうだったのです。ほんの20年ほど前のことです。20年前はみっともないことの一つだったかもしれません。
学校で習うことがないので知らない人も多いですが「おかあさん」の「か」は太陽という意味です。明るくて温かい存在という意味が「か」に込められています。「おとうさん」の「と」は尊い人という意味が込められています。「かかさま」「ととさま」と言えば、その意味が強調されるわけです。亭主元気で留守がいいとかお父さんは生ごみみたいな存在などと言われると少しも尊いという感じがしませんが。
Twitterがサービスを始めたばかりの頃、iPhone用のTwitterアプリの開発の手伝いをしたことは以前書きましたが、当時、米国人の友人に「日本語の含意の多さ」の話をしたら驚いていたのを思い出します。140文字という制限で文章を書いた時、アルファベット26文字で表現できることよりも日本語で表現できることが圧倒的に多いのです。
「おかあさん」と言うところを「ママ」と言い換えるようになると日本語の力が失われていきます。
日本語で思考するのが日本人ですから、幼い頃から英語教育などに浸ってしまうと日本人的な思考力を身に付けるのに苦労しそうですね。自慢気に英語をしゃべれても会話の内容が浅薄だったりすると尊敬されることはありません。
カタカナ言葉で言い換えてしまうと「意味や雰囲気が軽い感じ」になりがちです。「パパ活」は「売春」より軽い感じがしますよね。
さて、驚愕の事実です。
現在、Twitterに投稿される140文字の文章を最後まで読んで理解できない日本人が大半なのだそうです。長い文書が読めない、読んでも理解できない。そういう日本人が増えているそうです。SDGsなんていう矛盾と悪意に満ちた言葉もすっと理解できないでしょう。日本人同士で話が通じなくなっています。実際に話が通じないことが多々あります。
日本語が読めないなら思考力も低くなるでしょう。言葉を失った民族は滅びるとも言われます。
日本には存在しない概念をカタカナを使って外来語として取り入れる知恵がある日本人です。現代日本語の中の相当な言葉が明治期に日本語化されてきました。芸術なんていう言葉もそういう言葉の一つです。現在はその時代の日本語を読めない人の方が多いのです。
もしあなたが普段使う言葉の中に、日本語で表現できる概念をカタカナ言葉で置き換えているものがあったら、一旦立ち止まって考えてみることをおすすめします。これは結構大事なことだと思っています。