先日たまたま観たYouTube動画の中で語られていた週末科学者。仕事の合間や休みの日に興味のある事柄を探求するというもので、それに使う道具や考え方の枠組みの紹介と、趣味として科学に取り組もうという提案が含まれていました。
私たちは科学の恩恵を(被害にも?)受けて暮らしていますが、科学そのものを探求して暮らしている人は少ないと思います。日本人は科学好きだと思うんですよね。少なくとも探求するのは大好きです。
科学的であることへの誤解
科学は自然現象、宇宙はどのように始まったのか、人間はどのように産まれてきたのかを知るためのものです。「科学は万能ではない」と科学嫌いの人が言うことがあります。その通りです、知らないことだらけです。だから知りたくなる。これが科学的であるということです。科学的であるということは、私たちは「知らないことがたくさんある」というのが前提ですから、科学を探求する人は科学で何でも解決できるという万能感を持ちません。「知らないことを忌避する」つまり「科学は万能ではないと否定する」という態度こそが非科学的なのです。「知らないから知りたい」とするのが科学的なのです。
知性
自動車を運転するときに自動車の仕組みが気になって仕方ないとか、流行りの服装を見るとなぜそれが流行っているのかを考えてしまうとか、知りたいと思って観察することがあると思います。この「知りたいと思う傾向」のことを「知性」と呼びます。学校で習ったことを素直に覚えて、大人になるとその知識を中心に考えて新しいことを知ろうとしない。そういうのは学歴が高くても知性は低いということになります。
情報源は論文が主
英語が得意、あるいは英語に抵抗が少ない人は、残念なことではありますが世界共通語である英語で書かれた論文を読む。arXivのような非営利団体の論文サイトを眺め、面白そうな論文に目を通して最新の研究を知り研究の傾向を読み取るみたいなことをするのが最も良いのかもしれませんが、英語が嫌いな人はCiNNiやJStageなどの国内の論文サイトを読むのも良いでしょう。科学雑誌や専門書に当たるのも良いかもしれませんが、雑誌や書籍は最新のものではありませんから、興味を持つきっかけとして利用するのが良いかもしれません。
今は紙の出版物を読む時代ではないし、紙に数式や図形を書いて思考する時代ではありません。そういうことが不要、無駄というわけではありませんが、コンピューターネットワークを使って行う方が効率の良い探求が出来ることが多いのです。
探求環境
探求環境を構築するのに良いのがLinuxです。
WindowsやMacと言った知のブラックボックスではなく、知をオープンにしたLinuxです。有料か無料かという視点でこれを捉えてはいけません。オープンかそうでないかが重要です。
我々の暮らしに大きな影響を与えている数学、物理学、工学などの分野の探求をするには、Linuxに加えてPythonの存在が重要です。多くの研究者が利用しているプログラミング言語ですから、研究の成果や研究の過程で産まれたPythonで書かれたソフトウェアが豊富ですし、その多くがオープンソースです。流行りの機械学習の第一言語はPythonです。
Pythonの実行環境を仮想化して、複数の作業領域を持つ仕組みを実現するAnacondaも合わせて重要だと言えます。Webアプリケーションを開発する環境、AIの実験をする環境、天文学の研究をする環境など、複数の作業環境を作成して管理できます。
知は共有するもの。三人揃えば文殊の知恵です。そう考えるのがオープンソースの考え方です。産み出した成果は他の人と共有し発展を促します。その時に必要なのがGitHubやGitLabなどのリポジトリ管理システムです。成果を生み出す過程を保存・追跡するバージョン管理が可能です。
Anacondaによって複数の専用プログラミング環境を作れるということとは別に、複数の稼働作るのが仮想化ソフトウェアです。OSやデータベースのようなシステムサービスを用途ごとに用意することができます。このために使われるのがDockerなどの仮想化ソフトウェアです。
ITの世界に着目すればもっと多くの重要な技術はありますが、基本的には上記の環境、Linux、Python、Anaconda、Git、Dockerを抑えておけば良いでしょう。
モノづくり塾は割と科学的
以上のことを踏まえると、モノづくり塾には全部揃っていると思いませんか?「作る・学ぶ」は探究心が要求されることですし、上に書かれているようなことがすべて組み込まれています。自分が興味のあることをここならやれると感じれば好きなだけ探求してくださいよというのがモノづくり塾という場所です。
モノづくり塾は社会教育の一環
昔の徒弟制度は科学的だったんじゃないかと思うんですよね。一から十まで手取り足取り教えないんです。本人が自分で考えて問題を解決する方法を見つけていく、親方はそれができるまで見守り待つ。徒弟制度はよほど態度が悪いとかでない限り本人の成長を待ちます。年限がないのです。現代の学校教育のように、6年で卒業とか3年で卒業という期限がありません。年次毎の目標設定を達成できなくても卒業です。本人が諦めてもいない挫けてもいないのに「はい、ここまで。終わり。」と宣告されます。
あぶれてしまう人がたくさんいますよね。
よくわかっていないのに「はい、卒業」と言われて、自信も成果もないまま次の段階に放り込まれます。これは学校の教師に悪気があるわけではありません。そういうシステムだというだけです。システムにあがなって教師奮闘するというのはしんどいですし、そこに期待するのも無理があります。
教育には家庭教育、学校教育、社会教育の3種類があります。モノづくり塾は社会教育を実践する場です。塾生を弟子だと捉えれば徒弟制度のような形になるし、塾生を家族同然に扱えば家庭教育のような状況も現れますし、指導員が塾生に講義をすれば学校教育のようでもあります。
知能の高い動物ほど、母親と一緒に過ごす年齢は高くなると言われています。最近は夫婦共働きで子供は他人に預けられるという状況が増えましたから、家庭教育の部分が弱体化しているかもしれません。
学校教育も教師の疲弊とか文部科学省の政策に問題があるとか、さまざまなことが指摘されますが、年限を決めて行われる教育では篩にかけられていると感じる子も多いかもしれせん。授業についていけなくて悩む、仲間外れにされるなど、なかなか厳しい世界ですよね。モノづくり塾では年限も採点もありません。人それぞれスピード感が違いますから納得行くまでやってください、出来る出来ないは本人が一番よくわかっているから採点する必要がない、と思っているからです。
そういう状況ですので、モノづくり塾の出番はあると思っています。