アート

もともとの意味は技術の術の部分のことだったようです。芸術の術、技術の術。

産業革命の頃に芸術と技術に分岐して現代では主に芸術の方をアートと把握することが多いようですが、日本の場合は江戸時代から明治時代にかけて輸入された概念ですので文化的にも感覚的にも本来のアートの意味に馴染んでいないかもしれません。そんな雰囲気の中で育った私は子供の頃は絵描きになる夢を持っていましたが、高校生の頃に違和感を感じるようになりました。

そんな日本の一般的な感覚を踏まえつつ、私は芸術と技術を意味的に分類しています。暇を潰すものと暇を作るもの。そういう分類をしています。

日本を代表する作家である菊池寛によれば(ちょっと記憶が曖昧です)、彼が見る芸術は「観念遊戯」だそうです。これ結構鋭くありませんか?現代の芸術と呼ばれるものってそんなのが多いですよね。本来のアートはそういうものではありません。

日本ではマルシェやフリーマーケットなどの横文字行事で「作家さん募集」といって出店者を募集していますが、作家というのは芸術作品を作る人のことですから、暇つぶしみたいなカバンやアクセサリーは芸術作品だと把握しているのかもしれません。こんなところからも芸術は暇つぶしに「見える」というのが私の感覚です。

最近話をしたイタリア人のインダストリアルデザイナーの方の話では日本人が使うアートの意味がおかしいので、自分が制作したものをアートと呼ばれるのも自分がアーティストと呼ばれるのも嫌だとのこと。

山下達郎さんもアーティストと呼ばれるのが嫌だとラジオ番組か何かで発言していましたね。

私はモノづくりは多くの日本人が言うところのアートではないと思っています。芸術とモノづくりは行為が似ていますが目的は違いますから。菊池寛ではありませんが、観念遊戯よりも暮らしが優先。それがモノづくりに取り組むときに重視していることです。アートではないので作ったものは作品ではありませんし、自分を作家とか○○家と自称しません。

で、この観念遊戯を優先する人たちは、自動車や冷蔵庫やスマートフォンという暮らしの技術に恩恵を受けているのに、技術よりも芸術を優先しがちです。好きでしょ?どこの自治体でも芸術祭、マルシェみたいなことをしきりに宣伝している。だいたいそこには自然農や自然エネルギーなどがセットです。自然農で日本の人口を食わせることはできないし、自然エネルギーで日本のエネルギー需要は賄えない。これらも観念遊戯みたいなものです。

これが日本没落の原因の一つはないかと思っています。

今、地方自治体の多くが人口減少を問題にしています。日本全体で出生数が年間70万人ほど。小さな自治体だと数10人、数100人です。モノづくり塾近くの小学校では今年の卒業生は2人だったとか。

今後、さらに人口が減少することは明白であって、そうなったときに肝心の技術の恩恵は外国人によってもたらされることになるかもしれません。つまり、今日生まれた子供たちが20歳30歳になったときに仕事がない。あっても低賃金労働だけ。すでに日本の若者が海外に出稼ぎに行ってますね。

10年後には若者の仕事が無い。

10人生まれたら10人分の仕事を作らないといけないんですよ。12人分の仕事を作れば人口が増えるかもしれませんね。

今やらなければならないことは何か。大人たちはよく考えて行動した方が良いと思います。

モノづくり塾では作る・学ぶを通して暮らしの技を持つ人を増やしたい、その結果、仕事や事業を作る人を育てたい、そう思って活動しています。

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