数年前に大腸がんの手術を受け、定期的に術後検診を受けるために通院しました。その時、診療室に呼ばれるのを待っている間に聞こえてきた話にこんなものがありました。
老人A:今日はCさんが来てないねー
老人B:Cさん、どこか具合が悪いのかねー
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具合が悪いときに来るのが病院なのに、具合が悪いと来れないなんていうのは笑い話みたいですね。
それほど具合が悪くないの病院に頻繁に通い大量の薬を処方される。日本の医療費の増大が問題視される中、しばしば言われることです。
歳をとると、若い頃のようにあちらこちらに遊びに出かけたり、物欲を満たすために買い物をしたりすることが減ります。ついつい家に籠りテレビを観て過ごすなんていうことが増えます。
昔は3世代が一つの屋根の下で暮らすのは普通でしたが、戦後は核家族がナウい(死語?)という風潮になりました。一人で暮らす年寄りが増えています。最近では福祉だとして、そのような年寄りの面倒をアウトソーシングする人もたくさんいます。
人は一人では寂しい。自宅は居場所ではあるだろうけれど、他人と関わる場所、自分が必要とされる場所が欲しくなります。
その場所の一つが病院というわけです。
飲みもしない大量の薬を処方されるのがわかっていても、「今日は来ないねー」と心配してくれる他人がいて、「また来週来てくださいね」と言ってくれる医師がいる。だから病院に行く。
医療費の多くの部分が大量の飲みもしない薬代に消える、製薬会社の金儲けに利用されている、それが若者の負担を増やす。そういう批判があっても、居場所を求めて病院に行く。
人生百年という時代になりましたが、その人生の後半をどう過ごすかを考えずに人生の前半を生きてきてしまった。こんなに長寿になることを前提に社会制度や教育が作られてはおらず、人生の後半のことを良く考えなさいと親も教師も言ってくれなかった。そういう人がたくさんいるのではないでしょうか。
その結果として居場所がない。
誰もが必ず歳をとります。今は良いかもしれませんが人生の後半に差し掛かったときに居場所がないということに気づいても手遅れかもしれません。居場所を自分で作れる人もいると思いますが、それができない人もいます。そういう人を放置すれば不要な薬をたくさん処方される年寄りが増えてしまうかもしれません。
子供や若者に居場所がないという問題もあります。それについてはいずれ書きます。