新幹線とパチンコ

新幹線とパチンコの関係は、人間が昼間に働いて夜に眠るのということと良く似ています。

意識がある状態は、秩序を作ろうとする状態です。待ち合わせの時間に間に合うように道順を考え家を出る時間を決めるとか、納期に間に合わせるために作業行程を検討するとか、そういうことをする状態です。予定通りのダイヤで新幹線を運行するというのは、この意識によって支配される現象の最たる例です。
文明社会というものは、この意識によって作り出されています。言論活動も意識の活動です。

人間は昼間は意識が働き脳が秩序を保とうとしますが、秩序を生もうとすると無秩序も生まれてしまうので、その脳内の無秩序を整理する(捨てる?)ために睡眠があります。脳が使うエネルギーは寝ていても大きく減るようなことはないそうで、寝ている間にせっせと無秩序を解消するのにエネルギーを使っています。

秩序を生めば無秩序も生まれる。言い方を変えれば、秩序は無秩序を必要とする、ということになります。秩序だけを取ることはできません。それをやると世界は崩壊してしまう。案外、戦争が起きるのは無秩序の解消なのかもしれません。

覚醒剤は意識の世界に止まる効果を生むし、共産主義も意識の世界を信奉します。これらは破滅を生むものの例でしょう。

サイコロの目は意識では決められません。ランダムな世界は無秩序な世界。博打は無秩序の状態ですから、新幹線のような秩序の世界が現れると、他方ではパチンコのような無秩序の世界が現れてしまうのは必然です。日本の博打をすべて取り締まって無くしたら、新幹線の事故を増えるかもしれません。パチンコにはいろいろ問題が指摘されていますが、パチンコのようのものはきっと必要です。麻雀やったくらいでガタガタ言わない方がいいかもしれません。

極端に清潔を求めて消毒液で常在菌を殺してしまえば、防御能力が落ちて感染症にやられて病気になる、みたいなことが起きわけです。

残念なことに、無秩序の状態・無意識の状態は、意識されることが難しいから、人間は意識が作り出す秩序を求め続けます。感情も意識から作られてしまいます。(寝ている時の気分は感情に反映されないでしょ?)その結果として無秩序が増え続けます。だから、時々不安になって「昔に戻ろう」とか「原点に帰ろう」みたいな事を言う人が出てきますが、困ったことにそのような考えの過程で意識が多く介在してしまう。

随分前からこのことを考えてきて、意識の介在を少し減らして活動できれば良いのかなと思っています。

意識外の活動に触れるには、ギターを作る時に機械を使わないで夢中で単調な作業の繰り返しをするとか、無心でペダルを漕いで自転車を走らせるとか、「練」が付くような行為で、言語化しにくいものが良さそうな気がしています。やり続けるとなんとなく分かってくるという類の行為です。そういうものを暮らしの中の中心に置くのが良いのではないかと、今のところは考えています。それが当たり前になれば、考えなくてもそうするから、意識から少し離れることができるでしょう。

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