あまり仲間と友だちの違いを意識して暮らしていないと思いますが、この違いを明確に言えますか?
利害(目的)を共有しているかどうか?
これが仲間と友だちを分ける条件です。
仲間は目的を共有している。友だちは利害関係なく好きだから付き合う。そういう感じです。
概念は言葉で表現されますが、言葉の定義を明確にしないと概念も明確になりません。そう思って、仲間と友だちについて書いています。
「友だち100人できるかな?」という曲がありました。友だちがたくさんいる方が良い。そういうことを言いたいのだと思いますが、利害(目的)を共有しない友だちは、子供の頃なら良いかもしれませんが、基本的にバラバラな指向を持っているので、目的を持って一緒の行動ができないことがありますね。利害(目的)を共有しないので、それぞれの欲や好みが出て、ぶつかり合うと収集がつかなかったりもします。友だちに裏切られたといつまでも恨む人もいますが、価値観も好みも違う友だちはそうなりがちです。
大人になってからは友だちは多くなくて良いのです。友だちが増えないと思い悩むのは子供のうちだけにして、「友だち100人できるかな?」は忘れましょう。
仲間であり友だちでもあるという人間関係もあるでしょうが、小学生の頃の友だちと大人になっても行動を共にすることって稀ですよね。たいていはそれぞれが別々のことをして過ごしています。
何かを成そうとするときに必要なのは仲間です。目的には妥協せず、目的以外のことはお互いに干渉しない。友だち作りをするように行動してはいけない。
よく地域の集いで、仲間外れになったり、意地悪されたり、ぎくしゃくしたりしますが、これはそこに参加する人たちが友だち作りをしているからだと思うんですね。目的を同じくした仲間ではなく、目的を明確に意識しない集団作りに向かう。わずかばかりの金品を得るために人を集めるような活動も多いですけれど、これなんかは友だちでも仲間でもなくて売り手と買い手の関係に近いです。村社会などと言われるものも、友だち作りが主体だから現れるのでしょう。「友だち100人できるかな?」は村社会につながる歌なのかもしれませんね。
地域おこしなどをやっている人は、悩んだり恨んだりせず、仲間作りに専念した方が良いでしょう。