モノづくり塾を開いてから1年が経ちました。その間、私なりにじっくりと人々と話し観察し考えてきたつもりです。そんな中で感じたこと思ったことをまとめます。
大人の自己満足と、子どもたちの未来
人間の行動は、大きく分けて4つのパターンに分類できます。
- 真面目(=まとも・大切・有意義)なことを、真面目に行う
- 真面目なことを、不真面目に行う
- 不真面目(=ろくでもない・無意味)なことを、真面目に行う
- 不真面目なことを、不真面目に行う
この4つの中で最も望ましいのは、もちろん「1」です。
次いでマシなのは「4」、その次が「2」、そして最も厄介なのが「3」だと私は考えます。
冷静に振り返ってみると、私たちは案外この「3」をやってしまっていることが多いのではないでしょうか。つまり、本来価値のない、あるいは誰のためにもならない行為に、真面目に労力や時間を費やしてしまう。それが一見、立派な取り組みに見える場合もあるから、なおさら厄介なのです。
子どもたちが主役になっていない社会
「子どもたちの未来のために」と言いながら、実際には子どもが主役になっていない社会のありようが、あまりにも多いと感じます。
たとえば、「もっと託児所を増やすべきだ」という主張。
もちろんこれは、働く親たちにとって切実な課題です。しかし、「子どもたち自身は託児所で過ごしたいのだろうか?」「どんな場所が子どもにとって安心で、楽しい居場所なのだろうか?」といった視点から議論された形跡はほとんどありません。多くの場合、大人の都合が優先されているように感じます。
地域おこしの名のもとに開かれる会合やイベントも同様です。参加者の多くは中高年で、内容は懇親会の延長のようなもの。新しい挑戦や本質的な議論は少なく、むしろ「今できることだけをやる」「無難に終わらせる」といった姿勢が目立ちます。中には、助成金や補助金を当てにした小規模な事業も多く、自立的な取り組みとは言いがたいケースも少なくありません。
これらは結局、「大人の自己都合」と「自己満足」の表れなのです。
欲望とプライドは衰えない
人間は歳を重ねるごとに体力や知力が衰えていきます。しかし、プライドや欲望――とりわけ金銭欲はなかなか衰えない。むしろ年齢を重ねたからこそ、それらが前面に出やすくなるのではないでしょうか。
「お得ですよ」「儲かりますよ」「楽しいですよ」と言えば、人はすぐに集まります。
しかし「子どもたちの未来のために」「新しいことに挑戦できますよ」といった声には、反応が薄いのです。自分の利益にならないことには無関心。自分の利益にならないことだと約束を守らない。それが今の大人たちの姿だとすれば、非常に残念なことです。
形骸化した「地域おこし」
私自身、多くの自治体が行っている「地域おこし」の施策は、ほとんどが失敗に終わるのではないかと懸念しています。
たとえば、私たちの塾の近くには「拓道豊郷」という石碑があります。きっと、先人たちの「道を拓き、郷土を豊かにする」という想いが込められているのでしょう。物流や人の交流を支える交通網の整備が、地域の発展に不可欠だという信念の象徴です。
しかし現実はどうでしょうか。道路は整備が行き届かず、バスの便も限られている。終電で帰ってもタクシーがつかまらない。先人たちが今の姿を見たら、きっとがっかりすることでしょう。
社会は変化しているのに
私は60年あまり生きてきましたが、今ほど社会が急激に変化する時代を見たことがありません。激動の時代に生きているのだなと感じます。
「コスパが悪いから結婚しない」「子どもを持たない」
「AIに仕事を奪われるから将来が不安」
こうした言葉は、私の若い頃には想像もできなかったものです。けれども、こうした変化の中にあっても、教育は古いまま、大人たちはどこか呑気なまま。時代遅れの価値観を引きずったまま、次世代のことを語ろうとしているように見えます。
例えばAIやロボットがもっと高性能になったとき、今のような学習塾・受験・有名大学・大企業への就職または役人になるというキャリアパスが正解ではなくなる可能性があります。
人が増えないのは当然だ
産婦人科がない。学校がない。交通の便が悪い。就職先がない。
こうした地域に人が増えるはずがありません。「人が来ない」「若者が定着しない」と嘆く前に、何が根本的に足りていないのかを、大人自身が真剣に見つめ直すべきです。
問題解決のアプローチが正しくない
問題解決のアプローチは大きく分けて2つです。1つ目は原状回復、そしてもう1つはパラダイムを変えること。
原状回復アプローチは問題が発生する前の状態に戻って考えることです。パラダイムを変えるというのは、問題が起きた考え方を捨てることです。問題が起きたのは、問題が起きるように考えてきた結果だということを受け入れる必要があります。時代を遡るのは難しいので原状回復はやりにくいかもしれませんが、パラダイムを変えるのは、人を変えれば良いので容易でしょう。「いつものメンバーが話し合って決める」というのを止めれば良いのです。自分たちが間違っていたんだということを認める必要も出てくるので、そこが難しいところかもしれませんが、「間違ったらごめんなさい」を素直に言えれば良いのです。
最後に
みなさんが思っている程、大人たちは子どものことを考えていません。
未来をつくるのは、今の子どもたちです。
大人の役目は、子どもたちが夢を持ち、安心して挑戦できる社会をつくることにあるはずです。
その責任を果たさず、大人の自己満足や欲望ばかりが先行するようでは、私たちの社会に本当の「希望」は育たないでしょう。
まずは、真に「有意義なこと」に真剣に取り組む――それを大人自身が実践するところから始めなければならないと、私は強く感じています。
私たちは、激動の時代に生きる、自ら学び、自ら考え、自ら決めて行動する人を一人でも多く産みたい。そのためには、大胆に変わることも、試練に耐えることも厭わないつもりです。