あなたは「偉い人」と言われると、どんな人をイメージしますか?
お金をたくさん持っている人。腕力や立場で人を動かせる人。数字で勝っている人。
世の中は、ついその人たちを「偉い」と呼びたがります。SNSもそれを後押しします。「いいね」の数や表示回数が成績に見えるからです。最近は、米国の富裕層やリーダー層でマテリアリズム(物質中心の価値観)が強まっている、という指摘もあります。日本でも、その空気を輸入してしまいがちです。けれど私は、そこで立ち止まりたい。偉い=優しいであると。人間として最上級なのが優しい。
用語メモ:マテリアリズムとは
「マテリアリズム」には二つの意味があります。
- 哲学の用語(唯物論):世界は物質から成る、という立場。
- 日常の用語(物質主義):お金・モノ・腕力・数字のような測れる“もの”の量を最優先にする価値観。
このエッセイで言うマテリアリズムは後者です。「測れる=正しい」と感じやすく、判断が早くなる半面、背景や関係が切り落とされやすい。
「もの」と「あいだ」
金・腕力・数字は「ものの量」。短期的に効き、比べやすい。だから強く見えます。Z世代の人たちがコスパ、タイパというあれもこれです。
一方で、あいだ——安心・信頼・協力のしやすさ——は測りにくいけれど、長く効き、増やし合える。私は、道具も数字も使います。ただし前提はものは手段、価値は「あいだ」。測定はするが、支配の理由にはしない。
優しさは「あいだ」を強くする設計
優しさは甘やかしではありません。誰が・どこで・何に困っているかを把握し、力の使い方を調整することです。これを「負担の地図」と呼んでおきます。特別な道具は要りません。文化祭の準備なら、騒音は夕方まで/電源は二口/重い運搬あり——そう書き出したら、切断作業は朝に集め、体験コーナーは三分枠、運搬は台車+二人を標準にという具合に、人の事情(朝が弱い/初参加/説明が得意)と工程を重ねるだけで、場の空気が少しやわらぐ。工房でも、会社でも、地域でも同じです。
なぜ私たちは「ものの量」に惹かれるのか
悪いことではありませんが、方向づけが大事です。
- 安心の近道に見える(守れそうに感じる)
- 比べやすい(数字・見た目で一目)
- SNSが増幅(派手さは拡散されやすい)
- 成功だけが見える(支えや失敗は映りにくい)
- 「測れる=正しい」の錯覚(物中心のバイアス)
押さえつける力ではなく、一緒に進む力に変える。力の使い方が大事です。
SNSという“自意識拡大装置”
SNSは便利ですが、“偉さ”の感覚を狂わせることがあります。拍手の数は参考であって成績表ではない。派手な切り抜きが増幅され、静かな思いやりや協力者が消えがちです。私は「投稿やコメントには一呼吸置く」「見るだけでなく作る方に力を入れる」「拍手より“どこが良かったか”の一言」を自分の作法にします。
文化を「翻訳」して使い「追従」しない
外国の制度や技術から学ぶ点は多い。一方で、日本にはお裾分け/間合い/和など、あいだを整える作法が残っています。私は、文化も技術も、輸入→翻訳→選択→設計→実験→公開の順で、“もの”を使って“あいだ”を増やす道を取りたい。追従ではなく、翻訳と選択です。日本の過去の偉人たちがしてきたように。
モノづくり塾の三つの約束
- 進んで失敗しよう(たくさん挑戦しよう)
自分が転ぶ経験は、他人の転び方に気づく観察力と共感を育てる。挑戦→振り返り→改善の循環で、静かな勇気とねばりが育つ。 - 周りが困っていたら手を貸そう
重い/急いでいる/言い出せないといった小さなサインを拾い、親切の押しつけではなく、選べる形で助ける(「5分だけ一緒にやろうか?」)。助けの連鎖は、場の安心を増やす。 - 学んだことはみんなで共有しよう
目的は自分の評価より、次の人の失敗を一つ減らすこと。成功だけでなくつまずきと理由、協力者も残す。数字より信頼が増え、あいだが育つ。
三つをまとめれば——挑戦は勇気、手助けは思いやり、共有は信頼を育て、個人の強さを押さえつける力から一緒に進む力へ変えていく——と私は考えます。
AI時代、人間に残る優位性
AIが「ものの量」の最適化に優れていて、人間の何十倍何百倍の力を発揮しますが、私たちの人間の優位な点は関係の仕事に寄っていけること。文脈を読む共感/場づくり/合意形成/越境の翻訳/意味づけ。アルゴリズムが補助はしても、最終の腑に落ちる感覚を作るのは人間の役目です。
最後に。
「押さえつける力」は速いけれど、壊れやすい。
「一緒に進む力(優しさ)」は時間がかかるけれど、壊れにくい。
間合いに入った人が少し気持ちが安らぐ。その半径を広げられる人を、私は「偉い」と呼びたいです。日本の文化的資産を生かしながら、“もの”を使って“あいだ”を増やす実験をしているのがモノづくり塾ZIKUUという空間です。