「みんな」が言ってる。「みんな」がやってる。
そんな表現を目にすることがありますが、ここで言う「みんな」の範囲は狭いです。その人の認識している「みんな」は、「テレビでそう言ってる」「周囲の数人」「目につく少数の人たち」という程度のことがほとんどです。私を装飾しているだけみたいな感じでもあります。ご都合主義の「みんな」です。
私が関心したのは大谷翔平選手です。彼は球団経営陣、球団で働く人たち、球団の選手たち、自球団を応援するファン、メジャーリングのファン、スポンサー、野球少年、野球ファン、他のスポーツ選手・・・もの凄く多くの「みんな」を意識して行動をしている。見習いたいと思います。
どちらがより「みんな」かと言えば、大谷選手の方ですよね。どちらが本質的な「みんな」かと言えば、大谷選手の方ですよね。
大谷選手は私の半分くらいの年齢で、私の子どもたちよりも若いですが、視野の広さは私とは比べ物にならないくらい広いです。野球の上手さや年俸の多さがずば抜けていますが、個人的にはこの視野の広さが大谷選手の魅力だと思っています。
視野の狭い人が何かを決めるとロクなことはありません。限られたみんな、自分に利益をもたらす特定のみんなが主体になってしまうからです。せいぜい自分のこと、せいぜい自分の家族のこと、その程度のことしか考えない人が、社会的に権力を持ってしまうと怖いですよ。
せいぜい自分とその家族のことしか考えない人にとってみれば、例えば、近い将来、AIに仕事を奪われるであろう子どもたちの不幸や不安に思いを馳せることはないです。そんな人たちは「子どもたち若者たちの未来について話し合おう」と言うと反応が薄く、「便利になりますよ、お得ですよ」と言うと集まってくる。要するに利己的なんです。
「自分の生活のことで精一杯だから他人のことなんて考えられない」と言う人もいますが、本当にそうなのか一度考えてみて欲しいものです。
「みんな」の範囲を広げていきましょう。