日本の政治家が言う「スパイ防止法」

あなたはグローバリズムがお好き?

政治家が「スパイ防止法」と言うとき、その対象がどこに向いているのかをよく見る必要がある。
日本の安全保障や経済主権の問題は、常に「どこの国の利益を優先しているのか」という文脈で見ないと本質を外す。

高市早苗が「保守」と言われながら、対米従属の枠内でしか発言しないという指摘は昔からある。
アメリカを絶対的な“味方”と見なす政治家たちは、結果的に日本の独立性を削いでいく。
維新との連立構想が現実になれば、経済政策はより市場原理主義的になり、労働や地域の基盤がますます弱体化する可能性がある。
竹中平蔵の“構造改革”の延長線に、橋下徹の“劇場型政治”が乗る構図──これが「改革」と言われるのだから、倒錯している。

いま日本が問われているのは、「どこの国のための政治か」だと思う。
グローバル経済の中で国境を越えた資本が自由に動く一方、政治はまだ国単位で動いている。

「保守」を標榜しているかのような政治家がトップに立つことによって、本当の保守勢力の力は削がれ、引き寄せられていく。

みなさん、自民公明連立が壊れたと喜んでいる場合ではありませんよ。日本の自立が遠のいたと認識する必要がありますよ。ずっとこんなことを繰り返してる。そろそろ目覚めよう。

グローバリズムと日本

1. 経済構造の面から見る「グローバリズム vs 国家主権」

グローバリズムの中核は「資本の自由移動」だ。
つまり、企業が利益を最大化するために、国境や労働法、税制といった枠組みを超えて活動できる世界。
一見すると効率的で自由な経済に見えるけれど、実際には国家の政策が多国籍企業に従属していく構図を生みやすい。

かつて竹中平蔵が唱えた「構造改革」「規制緩和」は、この文脈で見ると、国家の介入を減らし、資本の支配を強めるための政策だった。
目指したのは「小さな政府」ではなく、「グローバル企業が自由に動ける政府」だった。


2. 教育政策の面から見る「グローバリズム vs 国家主権」

教育は、その国がどんな人間を育てたいかを反映する。
グローバリズム的教育は「競争」「効率」「個人の自己責任」を重視する。
対して、国家主権を重んじる教育は「共同体意識」「文化の継承」「倫理的判断」を重視する。

日本の教育政策がゆっくりと前者に寄ってきたのは、1980年代以降の“国際競争力”という言葉の魔力によるものだ。
だが結果的に、思考よりも成果、知識よりも資格、協力よりも競争を優先する人間が量産された。
これは竹中らが進めたような「新自由主義教育」の象徴でもある。
そして、その延長線上に「自立できない若者」と「分断された社会」がある。


3. メディア支配の面から見る「グローバリズム vs 国家主権」

メディアは、国民の“認識”を形成する。
この部分がグローバル資本に握られると、国家主権は実質的に奪われる。
日本のテレビ・新聞はすでに外資比率が高く、背後には広告代理店と国際金融資本がついている。
彼らにとって“好ましい政治家”とは、アメリカや国際市場の意向に逆らわない政治家だ。

だから、スパイ防止法を掲げても、「アメリカへの情報流出」には触れず、「中国・ロシア」だけを標的にするようなバランスの取れない議論になる。
メディアもそれを是正しない。
むしろ、「親米=正義、親中=悪」という単純な構図を維持することで、国民を分断したまま支配する。

櫻井よしこがやったことがまさにそれだ。


結論を一言で言うなら、
いまの日本は、グローバリズムという名の“経済的植民地”に近い。
国民が選挙で選んでいるのは“政治家”ではなく、グローバリストや外国勢力の“代理人”なんだ。

抜け出すには

― 従属の時代を終わらせるために ―

Ⅰ. 序論:従属の構造

日本は独立国家のように見えるが、実際にはそうではない。
経済も軍事も思想も、戦後からずっとアメリカの庇護と支配の下にある。
それを多くの人が意識せずに生きている。
気づかないまま、与えられた安全と豊かさの中で、静かに従属している。

グローバル資本は、国境を越えてすべてを吸い上げていく。
地域の工場も、教育も、家族の形までも。
人は自由を与えられたと思っているが、その自由は選択肢の中から“選ばされる”自由にすぎない。

「便利さ」と「効率」という名の檻の中で、自分の手でものを作る力も、判断する力も、少しずつ奪われていく。
私は、それを“従属の構造”と呼んでいる。

Ⅱ. 本論:抜け出す思想と方法

抜け出すというのは、社会から逃げることではない。
それは、自分の生を他人に預けないという、ごく単純で根源的な選択のことだ。

そのためには三つの基盤が必要だと考えている。

1. 自給の技

食べるもの、住む場所、使うエネルギー。
それを自分の範囲で少しでも回せるようにする。
木を削り、畑を耕し、電気を通す。
そうした行為が、最も確かな“自由の感触”を与えてくれる。

2. 知の自立

誰かの答えを待たず、自分の頭で考える。
AIはその助けになるが、使い方を誤れば再び依存を生む。
知識は教科書ではなく、経験と対話から生まれる。
そして、問い続ける姿勢こそが、知の自立の原点だ。

3. 共同体の再形成

一人で立つことはできても、一人で生きることはできない。
だからこそ、小さな単位で支え合う。
誰かの得意が、誰かの弱さを補う。
アナログとデジタルが共存する暮らしの中で、新しい“村”のような関係を築く。

それが、抜け出すための方法だと思う。


Ⅲ. 結論:再構築される共同体へ

国家も企業も、もう信用できない。
だが、それで世界が終わるわけではない。
自分の手でできることを始めれば、そこに小さな世界が立ち上がる。

ZIKUUでの活動は、まさにその実験の一つだ。
モノづくり、学び、対話。
それらはすべて、もう一度「人が人として立つ」ための訓練だ。そしてそれを文化的活動に落とし込んでいく。

私は日本と日本人の未来を諦めてはいない。
ただ、国家の回復を待つのではなく、人の回復から始めるしかないと思っている。

抜け出すために生きるというのは、この社会を否定することではない。
むしろ、自分たちの手で、もう一つの社会を組み立て直すこと。

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