正義の市場化

― 倫理が通貨になった時代 ―

かつて、正義は損を覚悟してでも貫くものだった。
いまは違う。
正義は“儲かる仕組み”の中に組み込まれ、市場で取引される商品になってしまった。


1. 「善いこと」がビジネスになる時代

現代社会では、「正しいこと」が最も効果的な広告になる。
環境、平和、多様性、人権、サステナビリティ。
それらの言葉は理念ではなく、ブランドのタグラインとして使われている。

ESG投資、カーボンクレジット、SDGs、フェアトレード。
どれも「善い行為」を通貨化した仕組みだ。
もちろん、すべてが悪いわけではない。
問題は、そこに本音よりも構造が先に立つことだ。

「正義を行う」よりも、「正義を演出する」方が報われる社会。
それが、正義が市場化した世界の姿である。


2. 善意が利益構造に変わる瞬間

人は悪いことをしたくない。
だから、「環境にやさしい」「人にやさしい」「社会にやさしい」と書かれた商品を買う。
その気持ちは本物だ。
だが、企業はそれをよく知っている。

善意は、最も安定した需要になる。
だから、企業は「やさしさ」を演出し、消費者は「良いことをした」という安心を買う。
ここに“やさしさの循環経済”が成立する。

罪悪感さえも、経済の燃料になる。


3. 寄付・支援・社会貢献のもうひとつの顔

寄付やボランティアも、いまや立派な市場を形成している。
そこには補助金、助成金、政治とのつながり、そして「社会貢献で稼ぐ」仕組みが存在する。

本来、誰かを助けるための行為が、助ける側の“経済的安定”や“イメージアップ”のために利用される。
この構造が、善意を制度化し、やがては利益の再生産システムに変わっていく。

善意が制度に取り込まれた瞬間、それはもう理念ではなく、運用になる。


4. 倫理の価格がつく世界

環境に配慮した企業は評価され、人権に配慮しない企業は炎上する。
その結果、企業価値や株価にまで「倫理の評価」が反映される。
つまり、倫理に市場価格がついたのだ。

かつて金で買えなかったものが、いまや“正義”までも価格表に載せられている。
道徳は指針ではなく、指標になった。

表面的には健全に見える。
だが、そこには一つの問いが残る。

「儲からない正義」は、まだ存在できるのか。


5. 市場に乗らない誠実さを守る

市場化された正義の中では、“採算が取れない誠実さ”が真っ先に消えていく。
しかし、本当の倫理とは、利益に還元できない領域にこそ宿るものだ。

誰にも知られずに、誰かを助けること。
成果がなくても、筋を通すこと。
損をしても、嘘をつかないこと。

これらは市場で評価されない。
けれど、それを続ける人がいる限り、
世界はまだ人間的でいられる。

正義が市場で取引される時代だからこそ、価格のつかない誠実さを守ることが、最後の抵抗になる。


ZIKUUという小さな例外

正義が市場で取引され、善意が制度に吸い込まれていく時代に、それでも、清潔な場所を保とうとする小さな場がある。

ZIKUUは、そのためにいくつかの約束を守っている。

月謝は最低限。
私が飢えずに運営できるギリギリの線でいい。
学びは商売ではない。
金を増やすより、知を循環させる方が価値がある。

補助金や助成金は受けない。
行政の仕事も請けない。
善意を装った金は、いつも言葉を濁らせる。
きれいに見える金ほど、思想を腐らせる。

ZIKUUは制度の外で呼吸したい。
権力や市場の温度から少し離れて、手と頭と心で考える場でありたい。

価格のつかない誠実さを守る。
それが、ZIKUUの考え方です。

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