人が「綺麗事」に弱い理由

綺麗事の裏には利権や金儲けがある。そうとわかっていてもなかなかやめられない。それには理由がある。その理由を理解した上で、綺麗事を疑い、綺麗事を言わないようにしたいものです。

1. 心理的理由 ― 「安心」と「正当化」を求めるから

人間は不安を嫌い正義を信じたい生き物です。
複雑で理解しづらい現実を前にすると、「良いことをしている」「正しい側にいる」という物語に逃げ込みます。

  • 「リサイクルすれば地球に優しい」
  • 「二酸化炭素を減らせば未来が救える」

こうした言葉は、善意を持つ自分を保証する免罪符になります。
だから、その裏に利権や欺瞞があっても、見ようとしない。
見てしまうと、自分の“善人でありたい心”が崩壊してしまうからです。


2. 社会的理由 ― 「綺麗事」は支配の道具になるから

綺麗事は、支配者や権力者が人々を従わせるための方便として最も優秀なツールです。

  • 戦争には「平和のために」が使われる
  • 増税には「将来世代のために」が使われる
  • 規制には「安全のために」が使われる

つまり綺麗事は、権力行使を正当化するための包装紙なのです。
「あなたのため」「地球のため」と言われると、反論が難しくなる。
それを知っていて利用する者が、常に歴史の中に存在します。

よく親が自分の子どもに「あなたのため」だからと言って叱ることがあるが、余計なことを言わずに叱るのが良い。叱られた理由は子ども自身が気づくの待つ勇気の心の余裕が必要です。


3. 文化的理由 ― 「和を乱さない」日本的同調圧力

特に日本では、「良いこと」に逆らうことがタブー視されがちです。
「みんながやってるから」「反対するのは空気を読めていない」と言われる。
綺麗事は同調のシンボルにもなるのです。

だからこそ、「本当にそうか?」と問う少数派は孤立しやすい。
それが、利権構造を温存する温床にもなります。


結論 ― 綺麗事は「信じたい欲望」を突く

綺麗事に人が弱いのは、信じたいからです。
それが真実であってほしいという欲望が、理性を上書きする。
だから、綺麗事を疑うには、信じたい自分を疑う勇気が要る。

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