「想像力が足りない」と嘆く前に、
学びが止まっていないかを疑うべきだ。
知らないことは、そもそも想像できない。
その当たり前の事実から、すべてをやり直す必要がある。
知らないものを、あなたは想像できるだろうか。
──この問いが、最近ずっと頭を離れない。
鎌倉時代の武士に「新幹線を構想せよ」と命じたら、どうなるだろう。
「新幹線とはどういうものか」それをしっかり説明したとしよう。
それで新幹線を想像できるか。
きっと、馬を鍛え、蹄鉄を改良し、馬車を走らせようとする。
だが、それは「新幹線」ではない。
線路を知らず、電気を知らず、圧力も摩擦も知らない。
素材のないところに構想できるか。
知識のないところに想像はない。
この単純な真理を、いま多くの行政が忘れている。
知らないまま、考えたつもりになっていないか
地方行政を見ていると、「新しい産業を育てる」「AIを導入する」「観光を活性化する」などの言葉が並ぶ。
だが、実際に産業を起こした経験がない。
AIの仕組みを理解して活用した経験もほとんどいない。
自分の住む町の歴史や地理もよく知らない。
それで「地域を変える」と胸を張る。
教育もそうだ。
教師が「探究学習」と唱えながら、本人は探究をしていない。
「学び方を教える」と言いながら、学ぶ姿を見せない。
知らないことを知ろうとしない教師に、未来を想像することはできない。
教育が子どもたちの未来を作る行為にも関わらず、未来を想像できない。
企業経営も例外ではない。
イノベーションを語りながら、会議室には同じ顔ぶれ。
多様性を掲げながら、異論を封じる。
「成長」を叫びながら、挑戦を恐れる。
どの分野も、言葉だけが立派で、中身は空洞だ。
まるで、鎌倉の武士が「早馬強化計画」と唱えているようなものだ。
想像は、知の上にしか立たない
思考とは、知識の延長線上にある。
知らなければ、考えられない。
考えなければ、想像は生まれない。
知ろうとする意欲を失えば、人は未来を描けなくなる。
学びを止めた瞬間に、想像力は枯れる。
「想像力がない」のではない。
「知ろうとしていない」だけだ。
虚心坦懐に学べ
虚心坦懐に学ぶしかない。
知らないことを、まず知る、知ろうとする。
知れば、見える。
見えれば、考えられる。
考えれば、想像できる。
そこにようやく、未来を語る資格が生まれる。
想像力とは、知の上に立つ。
そして、知は、学び続ける者の手にしか宿らない。