タバコは身体に悪い。
現代ではそう聞かされて育つ。
だが、本当にそう信じているのは自分の判断だろうか。
それとも、社会が作った「嫌悪」という感情なのだろうか。議論が詰まると、いつも登場するのは「あなたのために言ってる」という優しい言葉。
その優しさが、いつしか正義の仮面をかぶり、他人の感情を支配していく。
——タバコの煙よりも濃いのは、そんな善意の煙かもしれない。
子供の頃、家の中にはいつもタバコの煙があった。
父も母も祖母も、親戚の男たちも、客もみな吸っていた。
灰皿の煙は大人の象徴であり、マッチの火は儀式のようだった。
タバコは「大人になるための階段」のようにも見えた。
もちろん、タバコは身体に良いものではない。
肺や気管支に負担をかけ、長く吸えば健康を損ねる。
だが、身体に悪いものはタバコだけではない。
自動車のタイヤが削れて出る粉塵、工場の排煙、食品添加物、着色料、ストレス、不摂生。どれも似たようなものだ。
タバコだけが特別に悪だとされるのは、少し都合がよすぎる。
あなたは自分に都合のいい物語だけを語っていないか?
ニコチンには、脳内の伝達物質を補う作用がある。
日本人の場合、三割ほどの人は、この刺激があった方が神経の秩序を保ちやすいらしい。
つまり、すべての人にとって「百害あって一利なし」ではないということだ。
タバコが悪いのではなく、合わない人には毒だという話である。
思い返せば、子供の頃の煙の匂いは嫌なものではなかった。
つまり「タバコは臭い」という感覚がなかった。
むしろ落ち着く香りだった。
ところが今では、同じ匂いに不快を覚えると訴える人だらけだ。
——その変化は、果たして嗅覚の問題だろうか。
長年にわたる禁煙運動、広告の制限、喫煙者への課税。
それらが生み出したのは、健康的な社会ではなく、「タバコ=悪」という空気だ。
そしてその空気が、人々の感情を形づくった。
つまり、「タバコは嫌だ」という感情そのものが、社会的に作られた可能性がある。
人の感情は、本能よりも理性に近い。
議論が詰まると、決まって出てくるのは「あなたのために言ってる」という優しい言葉だ。
それはしばしば、議論から逃げるための盾であり、「私には正義がある」と思われたい願望の裏返しでもある。
その優しさは、思いやりというより、保身と同調を迫る装置に近い。
「正しい」と信じるほどに、人は残酷になり、他人の感情まで支配したくなる。
禁煙エリアは、健康のためというより、同調の象徴になった。
その線を越える者は、「罪人」として扱われる。
そして、自分が罰する側に立ち、気持ち良さそうに断罪する。
もちろん、そんな人に、人を罰する権限などない。
タバコを吸うかどうかなど、どうでもいい。
問題は、自分の「嫌い」「不快」「正しい」が、どこから来ているのかということだ。
それが本能の声なのか、誰かに植え付けられた反射なのか。
考えてみたことがあるか?
煙は、ただの煙である。
だが、そこに自分の感情の出処を映してみれば、案外、理性という煙のほうが身体に悪いのかもしれない。
一度、自分の理性を疑ってみることをすすめたい。