猿は木の枝を使い、ラッコは石を使う。
動物もまた、目的のために道具を使う。
しかし人間は、道具で道具を作る。
それが「メタツール」という存在だ。
エディターでコンパイラを組み、コンパイラでアプリケーションを生み出す。
炭と槌で刃物を鍛え、刃物で家具を仕立てる。
こうした連鎖こそが、人間を人間たらしめている。
渇いた暮らしの中で、潤いを求めてDIYや自然に親しむ人が増えているが、ホームセンターで買った道具で木を削るという行為の先には、もう一段深い世界がある。
自分で道具をつくり、さらに高度な表現へと進む道。
ZIKUUでは、建屋を自分たちで建て、作業台や治具をつくり、レーザー彫刻機や天体望遠鏡をつくる。
そしてAIを利用して、ソフトウェアや仕組みも構築している。
これらは単なる制作活動ではない。
スキルの幅を広げると同時に、「道具で道具をつくる」という人間の根源的な能力を呼び覚ます試みでもある。
また、ZIKUUは基本的に最終製品を作らない。
モノをつくって売るのが主要な事業ではないからだ。
様々な道具をつくる行為の結果として生まれるZIKUUという空間自体が、次につくるものの道具になる。
メタツールでメタツールをつくる。
そういう場所だ。
自然を語るとき、人はしばしば「ありのままが良い」と口にする。
だが、剥き出しの自然の中では人は生きられない。
里山は、人が手を入れて維持してきた「管理された自然」だし、水田は、湿地という熱帯的な環境を人工的につくり上げた空間だ。
つまり、人間の暮らしとは、自然と人間の境界を整える技術の上に成り立っている。
自然を理解し、整え、共に生きるためには、道具を使う力は欠かせない。
それを忘れて「自然が良い」と唱えるだけでは、気分の世界をなぞるに過ぎない。
人間は、自然の一部でありながら、同時に自然を調整する存在でもある。
その調整の知恵こそ、文明であり、文化であり、そして——道具の本質だ。
我々は、石器から鉄器、電気、コンピュータへと変化する時代を歩んできた。
ZIKUUはその流れをなぞりながら、もう一度、人間そのものを取り戻そうとしている。
便利さの先で失われた「手の記憶」や「考える力」を取り戻し、人と道具と自然が響きあう、本来の関係を築き直す。
少し大袈裟かもしれないが、ZIKUUが目指しているのは——人間の復興だと言えるかもしれない。