チープなテーマパーク

外国人旅行者にとっての日本は、
まるでチープなテーマパークのようだ。

「こんなに美味しいものが、たった2ドルで食べられる!」
「電車の中が静かだ!」
「電車が時間通りに来る!」
「子供がひとりで電車に乗って通学してる!」

彼らは目を輝かせて言う。
そして、多くの日本人はそれを誇らしげに聞いている。
――だが、哀れだと思う。

岡本太郎氏が「外国人が褒めた瞬間文化は死ぬ。目を覚ませ日本人。」
という主旨のことを言っている。

岡本太郎氏のこの言葉は、
「外国人に認められた」「評価された」という安堵や誇りのようなものは、実は外部基準で自分を測る行為であって、自分自身の表現や文化の根から離れてしまう危険を孕んでいる。
その瞬間、文化が「生きるもの」から「展示されるもの」に変わってしまう。
「世界の中でどう見られるか」ではなく、「自分が何を感じ、何を表すか」に立ち返れ、ということなのだと私は理解している。

自分たちの社会を“他人の感嘆”でしか測れないのなら、それはもう、主体ではなく見世物だ。

欧米の社会は「自由と競争」で動く。
自分の意見を持たない者は置いていかれ、権利と責任は常にセットだ。
衝突も多いが、その摩擦の中で制度が磨かれていく。

中国の社会は「秩序と力」で動く。
強い国家と大きな目標があり、個人はその中で生き延びる術を学ぶ。
激しく、速く、したたかだ。

そして日本は――
「我慢と協調」で動く。
だが、実際に我慢しているのは誰か。

それは、3Kと呼ばれ、蔑まれてきた職業の人たちだ。
清掃員、介護士、建設作業員、運転手。
朝が早く、夜が遅く、汗を流して働く人たち。
彼らの沈黙の上に、“静かな国”“安全な国”“正確な国”という幻想が成り立っている。

二重の意味で痛い。
外国人に褒められて嬉しそうにする日本人の姿も、その褒め言葉を支える人々への冷たい視線も。

整然と並ぶ街並み。
無音の車内。
安い幸福。
どれも美しい。けれど、どこか虚ろだ。
まるでよくできたテーマパークのように。

「安全」「清潔」「正確」
この三つを誇りにしてきた国は、いつの間にか“疲労と沈黙”で動いている。

だから、旅行者の笑顔を見て思う。

――早く自分の国に帰って、「安全」「清潔」「正確」な社会を作ったらどう?

私は、観光で町興し、インバウンド、クールジャパンなどの、見世物ビジネスには、どうしても未来を感じられない。

私は、鎌倉の近くで産まれ育った。
日本有数の観光地の一つだが、やっていることは、歴史という観光資源の消費だ。
鎌倉で生まれる伝統や製品はあまりない。
今の鎌倉には威風というものがない。

外国人が悪いのではない。
主体性を失い、深く考えない日本人に問題がある。

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