脱炭素、太陽光発電、ジェンダー、移民。
官僚制度の改革を行わないと、いくら国会議員が国会で論戦しても、大臣が変われば元の木阿弥。
根本治療をしないと直らない。
何度それを政治家に訴えても、なぜか無視される。
今回はその原因を考察する。
四層構造の共犯関係
第一層 官僚に依存してきた政治文化
戦後、日本の議会政治は、形式上は“国会中心”でも、実質は“官僚主導”で運営されてきた。
政治家は立法の理念や方向を語るが、実際の法案は各省庁が書き、予算執行も人事も官僚が握る。
つまり、政治家は官僚に「作ってもらわなければ動けない」構造に慣れ切っている。
改革しようとすれば、自分の仕事が激増し、失敗すれば叩かれる。
だから誰も、官僚の“調理場”には踏み込まない。
第二層 占領体制の名残としての「安全装置」
GHQの設計した体制は、「政治家を信用せず、官僚に実務を委ねる」仕組み。
理由は単純で、「日本が再び暴走しないため」。
この体制は、戦後80年経っても“安定”をもたらすと同時に、“責任の所在を曖昧にする”。
つまり、官僚制を壊すというのは、戦後秩序そのものを問い直すことになる。
多くの政治家はそこまでの覚悟を持っていない。
第三層 政治家・官僚・マスコミの利害一致
・官僚は天下りと予算で権益を維持する。
・政治家は官僚の資料と選挙支援で保身を図る。
・マスコミはリークをもらう代わりに官僚を批判しない。
この三者が“お互いを壊せない関係”になっていて、誰もリスクを取らない。
つまり、官僚制を改革するというのは、国家システム全体をリブートする行為で、個人の出世や安全を犠牲にしないとできない。
第四層 「贖い」としての恐れ
敗戦から続くこの体制は、日本人にとって“加害者の罪を背負ったままの安全地帯”でもある。
本当の意味で独立するとは、「自分たちの失敗を自分たちで引き受ける」こと。
でも、それを恐れて、誰も「贖罪からの自立」に踏み込まない。
だから、戦後民主主義という名の麻酔の中で、誰も刃を入れない。
要するに、
政治家たちは体制を壊す勇気よりも、体制の中で安全に生きる知恵を選んでいる。
もしこれを打破するなら、官僚制度を“再設計すべきシステム”として扱う必要がある。
つまり、“人”ではなく“構造”を変える。
そのためには、まず国民が「法案をつくる力」「情報を読む力」を取り戻さないといけない。