社会には、意図して仕掛けられたものと、誰の意図でもないのに自然と形づくられてしまうものの両方がある。
そして厄介なのは、どちらの場合でも、人間の弱点と制度の構造が重なると、同じ方向に流れてしまうという点だ。
その構造をここでは「罠」と呼ぶことにする。
近年、アメリカでも日本でも、政治の背後にある大きな力を示す言葉がときどき使われる。
“影の支配者”のようなラベルだ。
ただ、そうした語の真偽に気を取られるよりも、なぜそういう見え方が生まれるのかを考えた方が、現実には役に立つ。
巨大な経済圏や国家は、規模が大きいほど「単一方向」に収束しようとする。
バラバラでは管理ができないし、統一したルールや物語が必要になる。
気候対策も、ワクチン政策も、SDGsも、グローバル規格も、背景のロジックはそれぞれ違っているのに、“世界が揃う方向”へ流れていくのはそのためだ。
テレビや映画、ニュースなどが壮大な物語を語り始めるのに気づく人も多いだろう。
これを誰かの陰謀だと決めつける必要はないし、それをやることが問題の解決や問題からの避難には繋がらない。
規模が大きくなるほど「揃えた方が楽」という構造上の癖が強く出るだけである。
この癖が一度動き始めると、制度に連動して動く業界が必ず生まれる。
制度が変われば新しい商品が生まれ、危機があればそれに合わせたサービスが出てくる。
そしてメディアはその方向に“意味”を与え、市場は“商品”を並べ、人々は“空気”に従って動く。
誰かの悪意があってもなくても、
制度 → 空気 → 個人 → 制度
という循環が自然にできあがる。
この循環が一度回り始めると、流れは止まらない。
そして、この流れが複雑であればあるほど、「善と悪の戦い」のような単純な物語が好まれる。
右と左、保守とリベラル、グローバルとナショナル。
どちらの陣営にも正義と打算が入り混じっているのに、人間はどうしても“わかりやすい物語”に逃げ込んでしまう。
だが本当の問題は、陣営のどちらに正義があるかではない。
どんな構造が人々を同じ方向へ押し流しているかのほうだ。
その構造を支えているのは、制度だけではない。
もっと根源的な、人間の“スキ”である。
金が欲しい。
褒められたい。
認められたい。
目立ちたい。
この“スキ”は、制度の流れと結びついたときに最も利用されやすい。
“消耗した“と感じるのはそんな時だ。
そして一度利用されると、反発したり立ち止まったりすることがおっくうになる。
自粛や給付金が典型だが、人は「我慢」と「ご褒美」を繰り返されると、思考そのものが鈍くなる。
だから必要なのは、陰謀かどうかを気にすることではない。
利用される仕組みと、人間の弱点が結びつく地点を知っておくことだ。
社会は常に何らかの方向へ流れていく。
それを完全に止めることはできない。
だが、流れの仕組みを理解していれば、その中で自分がどこに立っているのか、どちらへ押し流されているのかを見失わずに済む。
罠は、外にあるのではなく、いつだって“自分のスキ”の中にある。
それを理解した瞬間から、世界の見え方は少しだけ静かになり、他人の物語ではなく、自分の判断で歩けるようになる。
金、名誉、称賛。これらを必要としなくなるための技術はある。
金も名誉も称賛もいらない。そういう暮らしは静かで自由なものだ。