時々、誤解される人がいるが、私はこのZIKUUを「やりたいから」やっているわけではない。
気づいたら、そうなっていただけだ。
ある日突然、やる気が湧いたわけでもなければ、決意した覚えもない。
いつの間にか、「これは自分がやるべきことだな」という位置に収まっている。
やる気以前の問題だ。
動機が先にあったわけではない
ZIKUUは「やりたいことをやろう」と思って始めたわけではない。
環境を見て、状況や条件を見て、今ある資源と制限を並べていくうちに、自然と「この形なら回る」という構造が見えてきた。
構造が見えた瞬間、「やるか、やらないか」という選択肢は消えていた。
やりたいかどうかは、もはや関係ない。
やるべき位置に、自分が立っていた。
やる気が必要なのは、構造が曖昧なときだけ
「やる気を出せ」という言葉は、構造の認識が曖昧な場面でしか出てこない。
順番が決まっていない。
役割が定まっていない。
制限条件が整理されていない。
こういう状態では、確かにやる気が問題になる。
だがそれは、本質ではない。
構造がはっきりすると、人は淡々と動くし、構造がわからないうちに「やる気だけ」あって動けない。
感情は後からついてくるか、あるいは、最後までついてこないこともある。
軽自動車と、逃げ道のない設計
軽自動車を見ていると、よく分かる。
制限だらけだ。
大きくもできない。
速くもできない。
豪華にもできない。
だからこそ、「どう成立させるか」以外の選択肢がない。
やりたい設計ではなく、やるべき設計だけが残る。
ZIKUUも同じだ。
資金が潤沢ではない。
人手も限られている。
自由に動けるのは私一人だけ。
当然、時間も無尽蔵ではない。
だから、やるべき構造しか残らなかった。
やるべきことは、後から気づく
不思議なことに、「やるべきこと」は最初から自覚されていない。
後から、気づく。
掃除をして、道具を並べて、余計なものを削っていくうちに、「次にやるのはこれだな」が見えてくる。
その瞬間、迷いは消える。
やる気も、覚悟も、意志も要らない。
ただ、やる。
やる気を探さない
私はやる気を探さない。
探す必要がないことを知ってしまったからだ。
構造を見て、自分の位置を確認して、淡々と手を動かす。
気づいたら、今日も終わっている。
それでいいと思っている。
若いのに、なぜ動けないのか
還暦を過ぎたおっさんの目から見ると、体力も時間もある若者が「何をしていいかわからない」「やる気が出ない」と言っている状況は、少し理解しづらい。
責めているわけじゃなくて、ただ、構造として不自然だと思っている。
本当に足りないのは、やる気じゃない
若者に足りないのは、やる気ではない。
意欲でも、情熱でもない。
足りないのは、構造を見る目だ。
何をやるか。
なぜそれをやるのか。
今の自分は、どこに立っているのか。
これが見えていない状態で、「やる気を出せ」と言われても、動けるはずがない。
それは怠けではない。
設計ができていないだけ。
だから、やる気の出ない自分に悩まないで欲しい。
「やりたいこと」を探す罠
今の社会は、若者にこう問い続ける。
「やりたいことは何?」
「夢は?」
「情熱を注げるものは?」
この問い自体が、かなり残酷だ。
構造が見えていない状態で、やりたいことだけを探させると、人は動けなくなる。
やりたいかどうかは、動いた後にしか分からないことがほとんどだからだ。
おっさんは、やりたいからやってない
私は、やりたいからやっているわけじゃない。
気づいたら、やるべき位置に立っていただけだ。
資金がない。
人もいない。
条件は悪い。
だから、「この条件なら、これをやるしかない」という構造が先に立った。
やる気は、最初から問題にならなかった。
若さは、最強の制限解除カードだ
若さは、それだけで大きな資源だ。
体力がある。
回復が早い。
時間もある。
失敗しても致命傷になりにくい。
それなのに動けないとしたら、原因は内面ではなく、外側の構造にある。
「何をすればいいかわからない」のは、自分がダメだからではない。
構造を見せられていないだけだ。
小さくていいから、逃げ道を塞ごう
いきなり夢を持つ必要はない。
やりたいことを見つける必要もない。
代わりに、
- 逃げ道を一つ減らす
- 今日やる作業を一つ決める
- 条件を紙に書き出す
それだけでいい。
制限がはっきりすると、「やるべきこと」が勝手に浮かび上がる。
月に一回ZIKUUに遊びに来る、みたいな簡単なことでもいい。
動ける人間は、意識が高いわけじゃない
動ける人は、特別な人間じゃない。
意識が高いわけでもない。
構造の中に、自分を置いただけだ。
若さがあるなら、まずは自分を置く「枠」を作ればいい。
やる気は、その外側にある。
最後に一つだけ
やる気が出ないことを、自分の欠陥だと思わなくていい。
ただし、やる気が出るのを待つのも、やめたほうがいい。
構造を見る。
世界がどういう構造なのか、社会がどういう形なのか、学校が、会社が、自分の暮らしが・・・
それよく見る。
そして、自分の位置を確認する。
そうすれば、やることは必然的に決まってくる。
あとは、体が勝手に動く。
これは、根性論じゃなくて、現場で何度も確認してきた、単なる事実だ。
ZIKUUでは、塾生向けに基礎教科書を書いている。
この投稿の時点で全25巻という圧倒的なボリュームがある。
この教科書群に共通するのは構造を見る目だ。
善悪や感情は入れない構造だけを見る目。
その目を自分のものにすれば、自分がやるべきことは自ずと決まる。