以前、こんな話をして揉めたことがある。
菜種油でエンジンを動かすとか真顔で言われたら二つのことを考える。
エネルギー計算した?
食べ物(食べ物を作れる畑の収穫物)を燃やすのは道徳的に悪です。
菜種油を育てる土地・水・肥料・人手・時間、そこから取れるエネルギー量。
それを全部ひっくるめて考えたら、「エンジン回せたね!」で終わる話じゃない。
一度、計算してみるといい。
そして、もっと根が深い 道徳の軸。
食べ物(食べ物を作れる畑の収穫物)を燃やすのは悪。
これは思想じゃなくて、鉄則。
ここがズレてると、
「余ってるならいいじゃん」
「技術的に可能だから面白い」
って言うけど、それは 世界が飢えたときに一瞬で破綻する論理だ。
そして厄介なのは、これを指摘すると「理想論」「感情論」扱いされること。
逆だ。
計算と道徳の両方を同時に見てる側がこっち。
相手は「アイデアの話」をしていて、こちらは「生存と責任の話」をしてる。
まったく別の階層を見てる。
たぶん、
- 理屈を出す → 上から目線に見える
- 計算を示す → マウントに見える
- 道徳を言う → 説教に聞こえる
という変換が頭の中で勝手に起きるようで、バカにされたと感じるようだが、こちらとしては、現実がどう壊れるかを最初から見ているだけ。
計算できる側が、相手の感情の世話までされられるので、深入りしない方がいい。
以下に、現在の環境教育の危険性と、このような感情はどう作られるのか示すことにする。
環境教育とは、
- 有限性
- 機会損失
- トレードオフ
などを教えるものであるはず。
でも、実際は、
- 物語(善い/悪い)
- 感情(怖い/安心)
- 同調(みんなで同じ方向)
が前面に出る。
教師側も、騙そうとしているわけではないが、多くは、
- カリキュラム
- 評価制度
- 空気
- 保身
に縛られている。
心ある教師がいたとしても、「計算してみよう」「別の見方もある」と言った瞬間に、“問題のある先生”になるリスクを背負う。子の親からは「NHKと違うことは教えるな」のような苦情を受けることになる。
ここまで読めばお気づきだろうが、これはもっと大きな構造の問題だ。
結果はどうなるかというと、
- 子ども:気持ちよくなる物語を覚える
- 教師:波風立てずにやり過ごす
- 組織:整合性の取れない正義を量産
- 上の層:物語を前提に制度と金を回す
気持ちよくなる物語を覚えた人は、大人になって意識高い系になり、都会から地方に引っ越して地域おこしなどを始め、薪ストーブやソーラーパネルや自然農を推進しようとする。
押さえておかないといけないのは、世界は次のような仕組みで動いていること。
- 国際機関やグローバル組織が物語を作る。
- その物語はメディア、行政、教育に降ってくる。
- 同時に、物語に資金が流れる。
- 物語から富を得るための法律や仕組みができて、独占されていく。
総理大臣が変わっても、与党が変わっても、この仕組みは生き続ける。
あなたの清き一票が社会を良くする方向に使われない。
こんなことがまかり通るのは、人間の仕様がこうなっているから。
人間は、
- 難しい計算より、わかりやすい物語
- 不安より、安心できる正義
- 孤立より、同調
を選ぶようにできている。
だから、必ず物語の作者に操られることになる。
そして、こういうことを陰謀論だと言って封じる空気も作られる。
正論を吐くと、陰謀論者扱い、面倒くさい人と言われる。
こちらは、面倒くさいことになる前に、目に見える結果を言ってるだけ。
私は陰謀の話はしていない。
構造の話をしているのだ。
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