技術者の視点から、紙ストロー問題について書いてみたい。
最近は、技術者を名乗るものですら、技術者的ではないという光景を見ることがある。
これは、科学技術立国という日本の一面に影を落とす、重大な問題である。
概要
環境対策を評価するとき、まず確認すべきなのは感情ではなくエネルギー収支だ。
物質は、採掘 → 精製 → 加工 → 輸送 → 使用 → 廃棄という一連のプロセスを通る。
環境負荷は、この全工程の足し算で決まる。
プラスチック製ストローに使われる原料は、高品質な燃料や化学製品にならなかった原油の副生成物であることが多い。
エネルギー密度が高く、加工効率も良い。
一方、紙ストローは原料調達、製紙、成形、耐水処理など工程数が多く、単位重量あたりのエネルギー投入量は決して小さくない。
「紙だから環境に優しい」という判断は、工程全体を見ていない。
最終的に問題になるのは、その物質が使われなかった場合、どのエネルギー経路に回るかだ。
プラスチックに使われなかった原油は、燃料として燃やされる。
紙に置き換えたからといって、原油が地中に戻るわけではない。
つまり、ストローを紙に変えることで大気中に放出される二酸化炭素量が有意に減るとは限らない。
価格も重要な指標だ。
物の価格は、ほぼそのまま「投入されたエネルギー量」と「工程の複雑さ」を反映する。
プラスチック製品が安いのは、エネルギー効率が高く、大量生産に適しているからだ。
安いから大量に使われるのではない。
大量に使っても破綻しないエネルギー構造だから安い。
紙製品は、「環境に配慮している」という意味付けを付与しないとコストに見合わない場合が多い。
技術的に見ると、これは環境対策というよりメッセージングの問題に近い。
ここで誤解してはいけないのは、
環境負荷の議論そのものを否定しているわけではない点だ。
問題は、
- 定量評価が省略され
- システム全体を見ず
- 象徴的な一点だけが切り取られる
ことにある。
地球環境は、人間社会よりもはるかに大きなスケールと回復メカニズムを持つ。
人間活動が影響を与えない、という話ではない。
ただし、影響の大きさを正しくスケール認識しないまま「危機」だけを強調するのは技術者の態度ではない。
技術者が見るべきなのは、言葉ではなく数値、印象ではなく系全体だ。
環境対策を語るなら、それが
- どのエネルギーを
- どの経路から
- どの経路へ移したのか
を説明できなければならない。
説明できない対策は、技術ではなく演出だ。
1. 原料の行き先という視点
プラスチック製品に使われる原料の多くは、原油精製の過程で生じる副生成物だ。
これらは
- 高品質燃料
- 潤滑油
- 化学原料
になれなかった成分で、使われなければ燃やされる。
重要なのはここだ。
「プラスチック製品を作らなかった場合、
その原料は消えるのか?」
消えない。
燃焼経路に回るだけだ。
つまり
- ストローにする
- 発電や焼却で燃やす
この二択しかない原料も多い。
紙に置き換えても、原油は地中に戻らない。
2. 製造工程のエネルギー比較(定性的)
プラスチックストロー
- 原料:副生成物
- 工程:溶融 → 押出 → 成形
- 水使用量:少
- 廃棄:高温焼却で完全燃焼しやすい
工程数が少なく、連続生産に向いている。
紙ストロー
- 原料:木材(伐採・再植林管理)
- 工程:製紙 → 乾燥 → 成形 → 耐水処理
- 水使用量:多い
- 廃棄:湿潤条件では分解が遅れることもある
特に乾燥工程と耐水処理はエネルギーと薬品を食う。
「自然素材=低エネルギー」とは限らない。
3. CO₂排出はどこで決まるか
CO₂排出量は「素材」ではなくエネルギー源で決まる。
- 石炭火力で作った紙
- 再エネ比率の高い電力で作ったプラ
この場合、後者の方が排出量が少ないこともある。
にもかかわらず素材だけを見て善悪を決めるのは評価軸がズレている。
技術者ならまず問うべきは
「その工程で使っている電力は何か?」
だ。
4. 価格というシグナル
市場価格はエネルギー収支の荒いが有効な指標だ。
- 安い → 工程が単純/効率が良い
- 高い → 工程が複雑/無理をしている
プラスチック製品が安価なのは、単なる企業努力ではない。
物理的に無理がない。
紙ストローは「意味」を載せないと価格差を正当化できない。
これは環境技術というよりブランディング設計の話になる。
5. 技術者的な問い
環境対策として評価するなら、最低限、以下を説明できる必要がある。
- 置き換えによって
- どのエネルギー源が
- どれだけ減り
- どこに移ったのか
- 原料が使われなかった場合の代替経路
- 製造・廃棄まで含めた全工程の比較
これが示されていない施策は、技術ではなく象徴操作だ。
6. 技術者の結論
環境問題は感情で否定も肯定もできない。
やるべきことは単純で、
- スケールを誤らない
- 全工程を見る
- 数値で語る
それだけだ。
象徴的な一部を切り取って「良いことをした気分」になるのは、技術者の仕事ではない。
この現象の背後にあるもの
人間の脳は基本的に「理解する」より「分かった気になる」ように設計されてる。
理由は単純で、理解は高コスト・遅い・疲れる。
分かった気は低コスト・速い・気持ちいい。
技術者視点でも見ると、この人間の仕様はバグのようなものだ。
だから脳は無意識にこう動く。
- 複雑 → 単純化したい
- 不確実 → 物語で閉じたい
- 数値 → キャラ・善悪に変換したい
これは怠惰というより、生存最適化の結果。
「バグのようなものだ」と書いたのは、必ずしも悪い面ばかりではないからだ。
で、問題はここから。
現代社会は
- 情報量が多すぎる
- 変化が速すぎる
- 自分で検証する余裕がない
この環境だと、理解コストをカットする能力が高い人ほど「楽に生きられる」。
結果として何が起きるか。
- 見出しだけ読む
- スローガンだけ覚える
- 「みんな言ってる」を根拠にする
- 考えた気になれる物語を選ぶ
これが量産ラインになる。
誰かが意図的にバグを作っている、というより、
バグでいる方が脳にとって合理的な(楽な)環境ができあがってしまった
と言えるかもしれない。
しかも厄介なのは、この状態だと本人は不快を感じない。
- 疑わないから苦しくない
- 物語に乗ってるから安心
- 正義側にいるから自己肯定感も保てる
だから修正が効かない。
技術者の目で見ると、これは完全にフィードバック欠損。
- 入力:象徴・感情・物語
- 処理:省略
- 出力:強い断定
検証ループが存在しない。
たぶん、教育にも問題があるんだろうが、教育者側に問題が多いので、改善されることはないだろうと思う。せっせと、気持ちよくなりながら、子どもたちにバグを仕込んでいくことになる。
ZIKUUでは、
- あえて理解コストを下げない
- 数値や構造を避けない
- 「分からない」を許す
という、人間仕様のバグ取りをする。
もともと、大勢の人が集まることはないという前提だから、仮に塾生ゼロでも破綻しないように設計・運営している。それでも来る人は来るし、残る人は残る。
ZIKUUは、大量生産ラインの外で、手作業で思考する場所。
AIを使っても、思考と判断は人間が握り、正解を求めない。
それは効率が悪い。
でも、効率が悪いものしか残らない知性もある。
浅い狭い知性ではなく、深く広い知性。
それがZIKUUが守りたいと思っていることだ。
昔から、物をよく考える人、つまり理解コストをカットしない人は、孤独になりがちだ。
周りの人と話をしても噛み合うわけがない。
一方はエネルギー収支を見て意味を考えるのに、もう一方は物語を見て意味を考える。
見ている層がまったく違うから、話が噛み合うわけがないのだ。
孤独を感じている人は、無理にそこから抜けようとするのではなく、広く深く考えることを楽しんで欲しい。
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