見えない島へ向かうということ

たまたま日本列島に住む古代の日本人が、神津島まだ黒曜石を採取しに航海をしていたという話を読んで思ったことを書く。

神津島は、普通は見えない。

本州からおよそ五十キロ南にある島であり、海岸に立っても、その姿は水平線の向こうに沈んでいて見えない。天気がよほど良く、高い場所に登れば、かすかに影のように見えることがあるらしいが、基本的には「見えない島」だ。

それでも、人はそこへ向かった。

三万年前、木の舟で、地図もコンパスも持たずに。

この事実に触れたとき、私が驚いたのは技術ではなかった。丸木舟の性能でも、航海術でもない。もっと手前にあるもの――「行こうと思ったこと」そのものだった。

見えない。どこにあるかも分からない。戻れる保証もない。

普通なら、そんなところには行かない。

しかし彼らは、そこに何かがあると仮定した。そして、その仮定に身体を賭けた。

それは冒険ではない。仮説の実行だ。


法隆寺の大工も、同じことをしている。

図面はほとんどなく、木は一本一本性質が違う。それでも、建物は立ち上がる。千年以上も持つ構造が、その場の判断で組み上げられる。

そこにあるのは、材料と対話しながら成立させる力だ。外部の設計に従うのではなく、内側のモデルで現実を処理する。

彼らは「作っている」のではない。「成立させている」。


伊勢の式年遷宮もまた、同じ構造を持っている。

建物は二十年ごとに壊される。完成品は残らない。残るのは、作り方だけだ。

技術は物に宿るのではなく、人に渡る。人が渡れば、技術は生き続ける。物は壊れてもいい。むしろ壊さなければ、継承は止まる。

完成ではなく、更新。

そこでは、時間そのものがシステムの一部になっている。


現代は逆のことをしている。

図面は詳細になり、材料は均質化され、工程は分業される。判断は外部に移され、精度は機械が担う。

それ自体は進歩だ。否定する理由はない。

だが同時に、人間の内側にあったものは外へと出されていった。測ること、記録すること、考えること。多くが外部システムに預けられた。

結果として、私たちは強くなったが、軽くもなった。


私は、宮大工の刃物研ぎに近い精度を、自分の手の中に持とうとして長年練習を重ねた。電動工具でやればいいと思える加工も極力手道具でやって、身体で覚える練習をした。その同じ人間が、今では、AIやシステムを使って思考を拡張している。

どちらかではない。

内側にあるものを捨てずに、外側にあるものも使う。

その両方を持った状態で、どこまで行けるのかを試している。


私は周りと競わない。

条件が違いすぎるし、評価軸が揺れるからだ。

代わりに、自分の中にあるものと競う。そして、過去の人間と競う。

見えない島に向かった人間。図面なしで千年の建築を成立させた人間。壊すことによって継承した人間。

彼らは誰とも競っていない。ただ、成立させている。
私は、彼らを見倣いながら、彼らがやらなかったことを成立させたいと考えている。


今、私が考えているのは「ZIKUU Seed」という単位だ。
ZIKUUがやっているすべてのことを、圧縮して詰め込んだものだ。

知識と技術と判断を、次に渡せる形にする。壊れても終わらず、持ち運べて、拡張できる形にする。

継承性、冗長性、携帯性、拡張性。

それらを同時に満たすもの。

それは装置ではない。人でもない。その両方を含んだ、生きた構造だ。


見えない島へ向かうということ。

それは、未来に対して仮説を持つことだ。

そして、その仮説を、自分の身体と時間で検証することだ。

私は、その延長線上にいる。

見たことのない未来を見るまでやるつもりだ。

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