貨幣経済とそれ以前
現代の経済は貨幣経済。
信用創造という仕組みの上に構築されている。
しばしば、この仕組みは金融資本による支配の構造である、効率化で浮いた時間に仕事が詰め込まれ、支配層の都合の良い生産に向けられるなどと批判され、その批判の先に、貨幣経済以前の経済への変化を求められることがある。
物々交換経済というのは、貨幣経済側からは、非効率、前近代的などと批判されるが、物々交換経済というものは、その批判の文脈の中で捏造された概念である。
つまり貨幣経済の主役たる支配層が描く設計図とは違うというわけだ。
彼らの設計図は、暇な人間を作らない、考える時間を与えない、ということ。
経済史の研究では、物々交換が社会の基盤だったという証拠はほぼないと言われている。
典型的に引用されるのは David Graeber の議論で、彼は Debt: The First 5,000 Years の中でこう言っている。
要約すると、
- 小さな社会では取引は交換ではなく関係
- 「今日は魚をやる」「今度畑を手伝ってくれ」みたいな負債(恩)が積み重なる
- 精密な計算はされない
- 帳簿もない
- でも関係の記憶は残る
つまり、数式じゃない。
貨幣経済以前の経済は、数値ではなく、意味で成立する経済だと思う。
小さな共同体
小さな共同体では、実際には三種類の経済が混在する。
- 贈与
- 信頼や恩義
- 返済期限はない
- 互酬
- だいたい釣り合う
- 厳密な計算はしない
- 交換
- 金銭や価格
1と2は信頼経済と言え、共同体の中で成立し、3は共同体の外との間で成立する貨幣経済、という二重構造である。
関係ベース経済
ZIKUUは、この小さな共同体の経済、信頼経済と貨幣経済の二重構造に近づいている。
ZIKUU内部は、
- 研究
- 技術
- 作業
- 知識
- 助け合い
これらが回る。
価格では測らない。
例えば、
- 旋盤を貸す
- プログラムを手伝う
- 農作業を手伝う
- 車を修理する
- 研究を議論する
これらすべてが、価格のない価値で、恩や信頼や尊敬のような形で積み上がる。
これを関係ベース経済と呼ぶことにする。
規模
イギリスの人類学者であるロビン・ダンバーが提唱したダンバー数。
共同体を良好に保つ人数だ。
50〜150人くらいまでなら関係を覚えられるという規模。
文明の最小単位を作る話の中で書いた村がこの適正な規模の小さな共同体である。その中では村の人口を50人としている。
日頃からスタッフに言っていること
最低2つ分野の専門を持て。
50人の村に、25人の生産年齢人口、15人の子ども、10人の高齢者がいるという前提なら、25人が、多少重複するかもしれないが、2つの専門分野の技能を持っていれば、30〜40の分野の技能が集合することになる。
村の住人になるには、最低でも1つの分野のプロで、2つ以上の分野のプロを目指す向学心や好奇心が必要となる。
理念や思想で引っ張らない
村の住人になる条件は、
- 最低1分野のプロ
- 向学心・好奇心
の2つだけ。
理念や思想を問わない。
それは、解釈によって共同体が変質するのを防ぐためだ。
1. プロである」という条件
プロとは単に技能があるという意味ではなく、
- 自分の分野で責任を持てる
- 他人に価値を提供できる
- 外部社会と交易できる
という意味だ。
つまり、共同体の外と接続できる能力でもある。
「向学心・好奇心」という条件
村の中では、貨幣ではなく、
- 技術
- 知識
- 作業
- 助け合い
が循環するが、そのときに必要なのは、学ぶ人。
受け身の人間が増えると、小さな共同体は崩壊する。
思想で人を選ぶと、内輪揉めで共同体は壊れる。
歴史上の似た構造
この村構想に近いものが、歴史上いくつか存在する。
- 中世の職人都市
- 修道院
- 研究所型キャンパス
ただし、これらには欠損する機能がある。
- 職人都市は研究が弱い
- 修道院は技術が弱い
- 研究所は生活が分離
ZIKUUや村構想は、研究 x 技術 x 生活を同時に置く構造になっている。
ZIKUUの現状
村構想の雛形がほぼできあがっている。
物理層
- 工房
- 生活空間
記憶層
- 本
- 論文
- データ
- Pivot
思考層
- 人
- AI塾長(近々完成)
村を構築するだけの基盤は揃っている。
地方で置きていること
地方で起きていることはだいたいどこも同じ流れだ。
- 人口減少
- 子供減少
- 学校統廃合
- 医療縮小
- 交通縮小
すると個人単位では生活が成立しなくなる。
これは現代の貨幣経済下では解決できない。
特にきついのが
- 子育て
- 通院
- 高齢者
の三つ。
50人くらいの村ならば、
通学
- 共同送迎
- 車の共有
- ホームスクール的な補助
医療
- 看護や医療知識のある人
- 通院の付き添いや送迎
子育て
- 誰かがみてくれる
- 放課後の居場所
- 技術を横で見て学ぶ
という形で、生活インフラを共同化する。
ZIKUU式ならば、
- ソフトウェア
- AI
- 研究
- 工芸
- 機械
- 農
- 執筆
全部あり得る。
だから、村がそのまま研究所+工房になる。
歴史的に言えば、修道院が技術とAIを持ったのに近い。
修道院は社会が激変しても生き延びた構造だと言われるが、ZIKUU式の村も生存の可能性が高い。
村の連なり
各村が、文明のコアを持ち、それらが連なるネットワークが文明のプラットフォームができる。
これは、近年、実現された技術と懐かしい過去の暮らしを重ね合わせた、新しい文明の形である。
村の中は、贈与と互酬。
村と村も、贈与と互酬。
村と外界は、交換。
そういう経済システムを持った新しい文明だ。
ZIKUUはその芽を育てている。