45歳を過ぎて始めたロードバイク。
最初は30kmがやっとだったのに、気づけば1日で300km、400kmを走るようになっていた。
限界を確かめるようにペダルを回し続けた日々が、「生きる技術」を教えてくれた。
1. 45歳からの挑戦
私は45歳を過ぎてから、ロードバイクを始めた。
運動不足の体で最初に走ったのは、わずか30キロ。それでも息が上がり、脚が動かなくなった。
けれど、面白かった。
身体が覚えていく感覚。昨日より少し遠くへ行ける実感。
1年が経つ頃には、1日に300km、400kmを走ることが当たり前になっていた。
最長は500km。
お尻は痛くなり、脚は攣り、補給をしすぎて胃が悲鳴を上げる。
夜明け前の冷気の中で、汗びっしょりになりながら、何度も「これは危ないな」と思った。
でも、それでも走りたかった。
限界を確かめてみたくなったからだ。
2. 限界を確かめるということ
私は時々、自分の限界を確かめたいと思う。
それは無謀さではなく、「生きていることを確認する行為」に近い。
人は安全な範囲で暮らしていると、自分の輪郭が曖昧になる。
痛みや恐れを感じる瞬間にこそ、「ああ、これが自分なんだ」と実感できる。
死にかけるような体験を経て、ようやく本当の“生”が浮かび上がる。
そんな経験を、私は自転車に教わった。
3. 自転車が教えてくれた二つのこと
自転車が教えてくれたことは二つある。
一つ目は、ペダルを回し続ければ、必ず目的地に着くということ。
止まらない限り、どんなに遅くても、少しずつ前に進んでいく。
人生も同じだ。速度よりも「継続」がものを言う。
二つ目は、限界は意外と高いところにあるということ。
登り坂で「もう無理だ」と思っても、実際に倒れるまでにはまだ余裕がある。
人間の“限界”は、想像しているよりずっと先にある。
この二つを知ってから、物事を少し楽に考えられるようになった。
焦らず、止まらず、ただ淡々とペダルを回す。
それが生き方そのものになった。
体験しないとわからないので、一度体験することをすすめる。
4. 出し惜しみしない時代へ
最近、強く感じる。
みんな出し惜しみしすぎている。
エネルギーを温存し、失敗を避け、無難にこなすことが賢いとされる。
でも、それではいつまで経っても見えてこない世界がある。
本当の成長は、少し危険で、少し無駄で、少し恥ずかしい領域にある。
人間はもっと出せる。
もっとアウトプットできる。
ただ、それをやらないだけだ。
5. アウトプットを増やす訓練
頭も身体と同じで、使わなければ衰える。
思考も表現も、筋肉のように“回し続ける”必要がある。
だから私は、文章を書くことも、プログラムを書くことも、全部「ペダルを回す行為」だと考えている。
一度止まってしまうと、再び動き出すのが大変だ。
だからこそ、小さくてもいいから動き続ける。
それが、アウトプットを増やす訓練になる。
そして、訓練の先には必ず「風景」が変わる瞬間がある。
それを見たいから、私は今日も回す。
6. ペダルを止めない人でありたい
挑戦とは、大げさなことではない。
どんな形でも、「今日もペダルを回す」だけでいい。
走る距離は人それぞれ。
けれど、止まらない人間には、必ず何かが見えてくる。
だから私は、ペダルを止めない人でありたい。
ゆっくりでも、確実に進む人でいたいし、迷っている人がいたら、まだやれるよと言ってやりたい。
追記
もしかすると、ZIKUUでの日々も同じかもしれない。
私たちは、限界を知るために何かを“やってみる”。
それが技術でも、教育でも、人との関係でも。
ペダルを回し続けていれば、きっと次の景色が見えてくる。