木が返す力 ― 500kmの果てに見えたロードバイクのかたち

金属でもカーボンでもない、木が返す力。
500kmを走るライダーの身体と呼吸を合わせるために、私はタモでロードバイクを作った。
数ミリのしなりが、次の一踏みを押し出す。


1. 500kmの壁

40代を過ぎてから始めたロードバイクで、私は1日に500kmを走るようになった。
脚力の限界を確かめるというより、身体と機材の関係を観察するような走りだった。
400kmを越えると、筋肉よりも先にフレームから伝わる振動が身体を削る。
お尻の痛み、背中のこわばり、手のしびれ――それらは体力の問題ではなく、素材の問題だと思った。

「もし、もっと身体に優しいフレームが作れたら、600kmも行けるかもしれない」
そう思った瞬間に浮かんだ素材が、木だった。


2. 木という材料の再評価

「木で大丈夫なのか?」と何度も聞かれた。
だが、材料工学の視点から見れば、木は非常に優れた構造体である。

私が採用しているのはタモ(Ash, Fraxinus japonica)
引張強度は約120MPa、密度は0.7g/cm³。
比強度で見れば、一般的なアルミニウム合金A6061-T6と同等以上だ。
比弾性率(弾性率÷密度)も約20GPaと高く、
金属と比べて軽くて強く、しかも靱性が高い

タモは繊維が長く、内部に均質な気泡構造を持つため、振動吸収性と復元力のバランスが良い。
この「しなりながら戻る」性質が、ペダリングエネルギーを逃さず推進に変える鍵となる。


3. 熱と疲労に対する安定性

木の熱膨張係数はおよそ5×10⁻⁶/K。
アルミニウムの1/5以下であり、夏と冬で気温が40℃変化しても、1mあたりの伸びはわずか0.2mmほどしかない。
つまり、環境変化に強いフレームが作れる。

また、金属のような疲労破壊を起こさない。
木は内部に微細な空隙と繊維ネットワークを持ち、繰り返し応力を受けても、微小な変形でエネルギーを吸収・分散する。
金属がクラックを蓄積して突然破断するのに対し、木は壊れながらも機能を保つ構造的冗長性を備えている。
だから、木は「壊れにくい素材」ではなく、壊れ方を知っている素材なのだ。


4. 木が返す力 ― 構造設計の思想

私の木製フレームは、すべてタモ材によって構成されている。
繊維方向を正確に読み、力の流れに合わせて切り出し、接合面にはわずかに異なる方向性を持たせている。
その結果、ペダルを踏み込んだ際に、BB(ボトムブラケット)周辺が数ミリ単位でしなる

一般的なカーボンフレームは、変形量0.2mm以下を目指して剛性を高める。
しかし私は、弾性変形を積極的に設計に取り込む
踏み込みの終盤で生まれたしなりが、20〜40ミリ秒後に戻るとき、その反力が次のペダルを押し出す。
つまり、木が呼吸するように力を返すのだ。

実測では、BB付近で最大3.2mmのたわみ、戻り時間は平均27ms。
これは90rpm(1回転0.67秒)のペダリング周期とほぼ共振する。
木のしなりが、脚のリズムと共鳴する構造だ。

さらに、タモの内部減衰特性によって、100Hz以上の高周波振動がアルミフレーム比で約40%減衰
このため、長距離走行でも背中や手の疲労が明らかに少ない。
「柔らかい」のではなく、「応える」フレームである。


5. 木を生かす技術 ― 漆による中空防湿構造

フレーム内部は中空構造で、湿度や外気の変化を抑えるために漆を塗布している。
漆は硬化後に分子間架橋を形成し、気密性が高い。
同時に完全な密封ではなく、木の微細な呼吸を妨げない。

この特性により、内部は安定した湿度バランスを保ち、
長期使用でも寸法変化やクラックの発生がない。
塗膜は薄く、中空部に残る漆の艶が、見えない場所で静かに木を守っている。

これは、現代の樹脂塗装にはない日本的合理性だと思う。
封じ込めず、呼吸させながら守る。
自然素材と技術の中間にある防湿設計である。


6. 結論 ― 自然と機械の協奏

木製フレームは「環境に優しい」から作ったのではない。
私は、人と素材の関係を再定義したかった

硬さや剛性の追求は、工業の正義だった。
だが、人間の身体は柔らかく、弾性によって動いている。
ならば、機械もその“柔らかさ”を持つべきだ。

タモのしなり、漆の呼吸性、それらを積み重ねて得られたフレームは、「人間が乗るための道具」という原点に戻る。

脚も、背中も、バイクも、同じリズムが息づく。気持ちよく自転車旅ができる。そんなロードバイクを目指している。塾生には希望すれば製作方法を指導します。

日本生まれのロードバイク

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