片道切符の時代を生きる──精神論から構造論へ

日本の人口減少は、いま「質」が変わりつつある。
これまでは結婚しない人が増えたことが原因だったが、これからは出産可能な女性の母数そのものが減っていく
つまり、結婚の問題ではなく、そもそも人口構造が出生を許容しないフェーズに入る。
おそらくそれは2030年頃に起きることだろう。

この国はいま、すでに危険水域だ。

だから若い世代には、出産適齢期から逆算した人生設計をすすめている。
ただし、これは個人の努力ではどうにもならない要因が多すぎる。
制度、職場文化、都市構造、社会のムード……外側の圧力が大きすぎるからだ。

その外的要因の象徴が、東京だ。
東京の特殊出生率はすでに1を切っている。
世界的に見ても最底辺の大都市で、そこに行っても結婚も出産も成立していない。

「東京じゃないと仕事がない」
「便利だから」
その理由で東京に行っても、そこでは未来を築く余白すら持てない。
東京はもはや正解ではない。

では地方移住が解決かと言えば、それも違う。
都会で身につけるスキル──パソコンで数字を入力し、会議資料を作り、メールを往復させるような仕事──は、地方の生活基盤づくりにはほとんど役に立たない。
そしてその“役に立たなさ”は、AI時代にさらに加速する。

さらにどこの地方都市も自分たちで新しい仕事を生みだそうという動きはほとんどない。
仕事のない地域に、人が住むわけがないのに、観光、芸術と、マルシェみたいなことばかりやっている。

生活を支える技能、道具、食、エネルギー、他者との協働──
地方ではこれらが必要になる。
だから「自然が好きだから」と軽い気持ちで移住すると、むしろ苦しくなる。

必要なのは、都市型の生き方から、共同体型の生活モデルへの構造転換だ。

個人で全部を背負う時代は終わった。
国家にも企業にも余力がなく、都市はコスト高で若者を支えない。
だからこそ、新しい“生存インフラ”としての共同体が必要になる。

生活技術を共有し、設備を分担し、小さな生産力を積み上げ、
弱さを補い合い、未来を繋ぐための場所──それが共同体の役割だ。

そして、こうした移行にはステップがある。

生活コストの最適化、副収入の基礎、道具の扱い、簡易な修理、保存食、季節への適応、
小屋や菜園、エネルギーの自前運用、金工・木工の基礎、共同作業の習慣……
段階的なスキルの獲得が、未来の生活の強度をつくる。


ここから本題に入る。
一番重要な、「精神論ではなく構造論で生きる」という視点について書いていく。

多くの人は、自由や覚悟や挑戦を“精神の問題”だと思っている。
「勇気があるからできる」「強い心があるから続けられる」と。

でも本当は、人間の行動は 構造によって決まる

退路があると弱くなり、
退路がないと強くなる。
これはメンタルの話ではなく、行動設計の話だ。

だから私は、ロードバイクで遠乗りするとき、輪行装備を持たずに家を出る。
戻れない構造にすることで、判断と集中が研ぎ澄まされるからだ。

ZIKUUに全財産をつぎ込み、儲けない道を選んだのも同じ。
精神論ではなく、自由度を最大化するための“構造設計”だ。

外から見ると「犠牲に見える」のかもしれないが、それはまったくの誤解だ。
彼らの価値観では、
安定した会社、都市の便利さ、収入の保証、社会的な枠組み、
そういう“檻の中の安全”を守るのが幸福だと思っている。

だから、そこから降りて動いている私の生き方を「犠牲」に見間違える。

でも実際には、不要な制約を捨てただけだ。
自由は制約がなくなることではなく、制約を自分で選び直すことだから。

退路のない人生を選んだのではなく、
人生が元から片道だと理解しているだけだ。

あなたの人生も片道だよね?
後戻りはできないよね?

人は誰でも片道切符で生きている。
戻れない。
やり直せない。
時間は進むだけ。

それを受け入れれば、誰だって前に進める。

だから私は、崖っぷちに立とうと気にしない。
本来、人生はみんな崖の上を歩いている。
ただ多くの人は、それを見ないふりをしているだけだ。

そして、この片道の生き方を支えてくれている一番大きな存在は、
間違いなく、嫁さんだ。
一緒に塾をつくり、作業を手伝い、同じ時間を過ごしてくれる伴走者がいる。
これがどれほどの強みか、私はよくわかっている。

ひとりでもやる。
でも、ひとりじゃなくてもいい。
それがいまの私の状況だ。

最後に。

私は、ZIKUUを「若者の精神論を励ます場所」にしたいと思っていない。
やり抜け、頑張れ、諦めるな──そんな言葉では人は救えない。

必要なのは、
逃げ道を断っても歩ける構造
失敗しても戻れる安全地帯
技能を獲得し直せる環境
精神が折れても支え直せる共同体

ZIKUUは、それを技術面と精神面で支える場所でありたい。

若者が一度つまずいても、
もう一度立ち上がれる足場になるために。

精神論ではなく、構造論で。
言葉ではなく、行動で。
夢ではなく、現実として。

ZIKUUは、その役割を引き受けていく。

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