言語モデルを作る続き

今日はあまり進みが良くありませんした。こういうのは辛抱強く淡々とやるしかありません。

ChatGPTのようなTransformerベースの言語モデルをスクラッチから作っているわけですが、知らないことに遭遇したときに、以前ならWeb検索して調べていたものの大部分を生成AIに尋ねるという形で済ませることがあります。今日もプログラミングをしながら、Pythonの機能やPyTorchの関数について生成AIに聞きました。生成AIが完璧な回答をしてくれるわけではありませんから鵜呑みにせず一段落ついたときに調べ直すことにしていますが、プログラミング作業中の中断は極力減らしたいので、ざっくり理解して先に進むのには生成AIは役に立ちます。プログラムコードを予測してくれるのもタイピング回数が減ってありがたいです。

予測と言えば!

生命は未来を予測しながら生きているという話があります。

恐竜絶滅の決定打と言われる天体衝突。絶滅の引き金のように言われることがありますが、実際は未来を先読みするかのうように天体衝突の前に数が減っており、天体衝突は引き金ではなく最後の締めだったという話です。

まだ原理が明らかになっていないようなので、生物が未来を予測して生きているということの説明が上手くできませんが、自覚や認識をしていないことが起きている可能性を否定できない気がします。

月は地球の周りを公転していますが、その重さゆえに地球は月に揺らされています。この揺れに生命は影響を受けていると言われることもあります。木星や土星の運動にも影響を受けているかもしれませんね。

mRNAワクチンを摂取して体内で作られたスパイクタンパク質が他人に感染る「シェディング」と呼ばれる現象が問題視されることがありますが、遺伝子の断片は常に生命体から出て、他の生物に吸収されるているそうです。このことから、遺伝子を介して生命体同士が繋がっているとも言えそうです。

脳の中で量子力学的な活動があると言われることもありますが、自覚や認識をしていなくても起きていることはたくさんあると思います。

霊感や心霊現象なども、自覚や認識ができないだけで起きているのかもしれません。

時間の概念を入れなくても成立する物理式があることから、物理学の世界では「時間なくてもよくね?」とまで言われることもあります。

日本人の思想の中に「中今」というものがあり、これは今に全てが畳み込まれているといった意味だそうで、過去・現在・未来は今に含まれるという考えです。これなども、我々が未来を感じながら生きていると言えそうな思想ですね。

自覚や認識がなくても、我々が未来を感じて生きていると考えるのは、あながち荒唐無稽ではなさそうです。これを前提にすると、人口減少という現象も我々が未来を予測して生きている結果なのかもしれません。

そして、そもそも人口ピラミッドと呼ばれる年齢別人口構成の推計は精度が高い統計です。

私は、

  • 人口減少は我々が未来を予測して生きている結果
  • 人口推計は精度が高い

の2点を前提に、我々は無意識に人口を減らそうと行動していて、それが精度の高い統計で示されているのだから、人工減少問題に対して、人口を増やそうとする活動は無理・無駄・不要ではないかとさえ思えます。

だからこそ、人口が減るのを想定して、一人三役や技術革新により、生産や物流を支え生活の質を維持するべきだと考えています。モノづくり塾が色々な分野の技術を複合的に学べる施設になっているのは、一人三役や技術革新に繋げたいからです。

例えば、トラック運転手が少ないから給料を増やして運転手を増やすのではなくて、新しい技術の導入で対応するみたいなことが大事なのではないでしょうか。

悩ましいのは、こういう話をしても、

  • 自分は無力だと諦めて「どうせ自分はもう長く無いから」
  • 変わるのが嫌だから「昔ながらの⚪︎⚪︎!」
  • やっぱり人を集めるのが大事だから「イベント!」

となって話が先に進まないことです。

残念なのはそのようなことを口にすることが気持ち良さそうなのです。あるいは自分に念を押しているようにも見えます。難しいことや新しいことに挑戦はしたくない、学校を卒業したら勉強はしたくない、生活の糧を得られることにしか興味がない。そういう気分なのでしょうか?

前向きな人でも「出来ることはなんでもやります!」とは言っても、「(今は)出来ないけれどやってみる」とはなかなか言いません。出来ないことをやることを挑戦と言うのですから、出来ないからやりませんということになると挑戦はしないと宣言しているようなものです。

故本田宗一郎氏が「やりたいことをやれ」という本を書いています。ホンダの歴史は挑戦の歴史ですし、挑戦こそがホンダですよね。「今出来なくても、やりたいことをやれ」が本田氏が言いたいことですよね。そういう積み重ねがあったから、我々の豊かで快適な暮らしがあります。冷蔵庫や自動車がなければ一日に何回も買い物に行かなければならないし、洗濯機や湯沸かし器がなければ冬の寒い日にあかぎれを作って洗濯しなければなりませんよね。難しいことや新しいことに挑戦した人がいたから快適に暮らせるわけですよね。

私は「今は出来ないけどやってみたい」という人を応援したいです。小さくても良いから挑戦しませんか?

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