高文脈文化(ハイ・コンテクスト・カルチャー)

若い頃に出張で奈良に行った時に聞いた話ですが、「あそこにはつい最近○○があってね〜」というから、「いつ頃ですか?」と聞いたら400年前とのこと。400年前が「つい最近」なんだ?!と驚いたのを記憶しています。

日常会話をするのに400年前の知識が必要なんですね。知らなくても会話はできるかもしれませんが、わかり合うのは難しいのかもしれません。

高文脈文化(High Context Culture)」は、コミュニケーションにおいて文脈や関係性、非言語的な要素(表情・態度・言葉のニュアンスなど)、暗黙のルール、暗黙知が重要な役割を果たす文化のことだそうです。

その典型が日本だと言われています。奈良でした経験のように歴史という文脈が必要なのも高文脈文化ということでしょう。

外敵から身を守るために、小さな魚が魚群を形成して大きく見せる。言語で意思疎通しているわけではないのに、自分の位置を保ち向きを変えるときは申し合わせたように向きを変える。テレパシーのようなものがあるのかどうかわかりませんが、面白い現象です。

私自身は空気に流されることはあまりなくて、自分の意志が比較的はっきりしている方だと思っていますが、それでも空気はしっかり感じる。なんとなく周りがやりたそうなことや相手が言いたそうなことを感じます。自分と全体の境目が曖昧な感じがします。

一方ではっきり言わないとわからないというのが低文脈文化です。

低文脈文化では言語化がとても重要です。自分の想いを言語化する、相手に求めるものを言語化する。

言語化といえば生成AIです。あれは言語化の究極ではないかと思っています。

生成AIにとっては、日本人がよくやる沈黙は大敵です。「目は口ほどに物を言う」みたいなことは、画像認識と生成AIの組み合わせで実装できそうな気がしますが、無表情で沈黙されたらどうしようもない。

以前にも書きましたが、日本人の信仰は一神教の人たちの信仰とまったく違って、自然を観察して自ら教えを導きそれを後世に伝えるという形です。神の教えに従うという受動的な信仰ではなく、自ら教えを見つけにいくという形で能動的です。慮るわけ。非言語的な要素に重要な役割を与えている。

低文脈文化の典型が生成AIだとしたら、高文脈文化の中で生きる我々にとっては、何かが足りないと感じてしまうでしょうね。

文化の異なる外国の人たちとの交流と同様にAIの利用についても、文脈文化を意識した方が良いのかもしれません。少なくとも現時点では、AIにはあなたや私を理解する力はないのでしょうし、今後AIがどのように進化していくのかに関心があります。

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