― 場を整えるということ ―
普段から「行為の意味」を考える癖をつけると良いと思っている。自分が何のためにこれをやるのか。別にそんなことをしなくても生きては行けるだろうけど、人として思慮深さを養うには大事だ。
モノづくりで一番大事なことは何かと聞かれたら、「掃除だ」と即答する。
それを聞くと、たいていの人はピンとこないようだ。
「もっと技術とか、アイデアとか、そういう話」を期待しているかもしれない。
でもね、掃除は雑用じゃないんです。
それは、場を整えることそのものなんです。
そして、場を整えるというのは、
同時に自分の心を整えることでもある。
私が毎日やっていることは決まっている。
まずトイレを掃除して、作業場の床を掃き、道具を定位置に戻し、必要があれば手入れをする。
ZIKUUの作業場は私の個人資産だけど、性質としては“みんなの場”だ。
だから、誰かが汚した場所でも、気づいたらすぐにきれいにする。
それを「なんで自分が?」とは思わない。
汚した人が綺麗にする、みたいな道徳ではなく、
自分のためではなく、場のためにやる。
その場が清らかであれば、人も穏やかに、作業もうまく進む。
掃除には、三つの大切な意味があると思っている。
- 整える — 物を片付けて、作業しやすくする。
- 鎮める — 手を動かすことで、心を落ち着かせる。
- 敬う — 自分以外の存在にも気を配る。
これを続けていると、「掃除」という行為が、単なる片付けではなくて、人としての姿勢なんだと気づく。
道具を扱うように、場を扱い、場を扱うように、人と関わる。
人間は人の間と書きますよね。 — 人の間を整えるのが掃除です。
昔の日本人は、そういう感覚を自然に持っていた。持っていたからこそ人間という言葉ができたんだと想像する。
茶室や道場でも、掃除は修行の一部だった。
「清める」という行為は、神聖なことだった。
今の時代は便利になった分だけ、そうした感覚が薄れてしまった気がする。
誰かがやるだろう。
汚れていても作業はできる。
そんなふうに考えてしまうと、場がすぐに濁る。
そして、不思議なもので、濁った場では、人の心も濁る。
だから私は、掃除を大切にしている。
道具を拭きながら、今日もこの場で誰かが何かを作り出すことを想う。
そんな静かな時間を過ごす。
掃除は雑用じゃない。
それは、自分の内側と、外の世界をつなぐ行為だ。
そして、その積み重ねが、ZIKUUという場の呼吸になっていく。