魂の自由 ― 儲けないという選択

見かけの自由と実質の不自由

現代社会では、誰もが「自由に生きられる」と信じている。
だがその自由は、あらかじめ用意された選択肢の中から選ぶだけの管理された自由に過ぎない。
どれを選んでも、結局は同じ構造に従うことになる。

本当の自由とは、選択肢を選ぶことではなく、選択肢そのものをつくり出すことである。
私がZIKUUを始めたのは、そこに必然性があると感じたからだと思っている。
市場の外側に、小さな自律圏を築くことで、魂の動く空間を取り戻そうとしている。

儲けないという経営

ZIKUUは儲からない事業ではない。儲けない事業である。
そう聞くと、まさかという反応があるが、これは本当のことである。
儲けるという動機を持った瞬間、すべての判断基準が貨幣の尺度にすり替わる。
だから私は、意図的にその回路を閉ざしている。

塾生からの月謝は、税金や電気代、交通費に消える。
余れば工房の設備に投じ、またゼロに戻す。
それでいい。
残らないからこそ、心が残る。
儲けないことは、貧しさではなく自由の維持費なのだ。

モノとコトの経済

私は金(カネ)をモノとコトに変換する。周りの人たちにもそれを勧めてきた。
ZIKUUを建設した際に、その約束は完全に果たしたと思っている。

モノは生産設備であり、手の延長。
コトは行為であり、身体に染み込む経験や技術の積層。

この2つの往復にこそ、真の経済がある。
奪うことも、奪われることもない。
それぞれが自分の手と身体で世界と結ばれ、再び生きる力を得る。

仕事と働く ― 言葉に宿る文化的精神

「仕事」とは、「事(こと)に仕える」と書く。
そこには奉仕でも服従でもない、自らを委ねるという意味がある。
英語で言えば dedication。命をかけて事に尽くす姿勢だ。
「命がけの仕事」というと、何やら大袈裟に聞こえるかもしれない。
しかし、本来の仕事には「命がけ」の意味が含まれる。

「働く」は「傍(はた)を楽(らく)にする」と書く。
自分ではなく、周りを楽にする行為。
どちらの言葉にも、「金を稼ぐ」という意味は存在しない。

日本人がこの訓読みの精神を取り戻すとき、仕事は義務から祈りへ、働くは競争から共生へと変わる。

日本は古来、祭祀国家として発展してきた。
天皇祭祀は、個人の信仰ではなく、国全体の生活に溶け込んだ祈りの体系である。
人々が日々の営みの中で自然と祈りを重ね、その延長線上に田を耕し、技を磨き、物をつくってきた。

したがって、仕事が義務から祈りに近づくということは、日本人の本来あるべき姿を現代に甦らせることであり、同時に、日本人が一体となって祭祀国家を再建する道を開くことでもある。

ZIKUUで私がしていることは、この「やまとことばの精神」の復興にほかならない。
モノとコトを通して人を楽にし、事に仕え、そこに貨幣を介さない“働き”を見出す。

貨幣と所有の起源

貨幣はもともと、信頼を可視化するための道具だった。
人は贈与と返礼の循環の中で生きてきた。

だが、貨幣はやがて目的へと転化し、信頼の象徴から所有の証明へと変わった。
それは共同体の分有から、個人の排他へと人間関係の意味を反転させた歴史でもある。

今日の所有とは、実体のない信用の独占であり、社会的に共有されていた“生きる力”を、帳簿の数値へと変えてしまった結果である。

貨幣はいつしか手段から目的へと転じた。
多くの人々は、その幻影を追いかけ、自らの時間と労働を貨幣の祭壇として拝むようになった。

だが、貨幣を生み出し管理する支配層は、その人々の欲望を巧みに利用し、支配と独占という、より深い目的に向かって動いている。

私たちは早い時期にこの構造に気づき、欲望の罠から自らを解き放つ根本的な治療を始めなければならない。
貨幣そのものを否定するのではなく、貨幣に宿った支配の意志を見抜き、それを超える新しい信頼の循環を築く必要がある。

独占という幻想

産業革命以降、世界は「所有の集中こそ効率」という神話を信じてきた。
だが独占は創意を腐らせ、技術を閉じ込める。
知識や技能は、独占された瞬間に腐敗に向かう。

ZIKUUの原則は、「技術は共有財」。
実験も失敗も、その記録さえも開く。
そうすることで、誰かが再び自分の手で考え、小さな創発が社会に滲んでいく。
独占のない場にだけ、真の発展が生まれる。

魂の自由としてのZIKUU

ZIKUUは貨幣社会を否定してはいない。
貨幣に心を支配されない構造を提示している。

儲けないことは、思想であり、訓練であり、祈りでもある。
自由とは、所有と独占から解き放たれた精神の運動であり、人が再び「事に仕え」「傍を楽にする」ための道。

私は今日も、工房で木を削りながら、この小さな経済圏の中で、魂の自由を確かめている。

そして願う。
あなたにも、もう一度考えてほしい。
自分は何者か。
日本人とは何か。

日本語で書かれた文章をたくさん読み、歴史を知り、考える。
そうした時間を、毎日ほんの少しでもいいから、持ってほしい。

言葉は思考の器であり、日本語は、日本人の魂を映す鏡だ。
その鏡を磨くことが、私たちがもう一度「祈りとしての仕事」を取り戻す第一歩になる。

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