嘘でもいいから、という態度

世の中には、二通りの人がいる。

嘘の契約書を見ても、「仕方ない、形だけでも署名しておこう」と考える人。
そして、「嘘は嘘だから署名できない」と言う人。

あなたはどっち派だろうか。

たとえば、日本国憲法の前文には「国会でこの憲法を確定した」と書かれている。
でも実際には、当時の国会はGHQの占領下で、まだ主権を持っていなかった。
つまり、「国会で確定した」という部分は、厳密には嘘だ。

それでも、多くの人は「まあ、いいじゃないか」と思う。
憲法があることで秩序が保たれるし、混乱するよりはマシだと。

でも、そこで問いたい。

「嘘でもいいから」と思う態度を、一度許したらどうなるだろう。
法の世界で、教育の世界で、行政の世界で。
「嘘でもいいから」で進めるのが当たり前になったら――
それは、社会全体が“嘘でもいい国”になってしまわないか?

本来、「嘘はダメだ」という感覚は、成文法よりも上位にある。
それは条文ではなく、心の中の規範だ。
だからこそ、紙に書かれた法律よりも強い力を持つ。

もしこの上位の規範を失えば、法はただの紙切れになる。
嘘が道理を押しのけてしまう。

憲法の話をすると、どうしても政治的な対立に流れてしまう。
「護憲か、改憲か」「右か左か」――そんな分類に押し込まれがちだ。

でも、私が問いたいのはそういうことじゃない。
政治の立場ではなく、誠実に生きるということをどう考えるか、という話だ。

嘘をつかないことは、正義のためではない。
人が人として立つための最低限の矜持だ。
それを失った社会は、いずれ何を信じていいか分からなくなる。

だから、もう一度問いたい。

あなたはどっち派だろう。
嘘でもいいから派か、嘘はダメだ派か。
そして、どんな社会に生きたいだろうか。

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