言葉が単体で存在しているうちは、多義的で、使い手ごとに意味が揺れる。
「もったいない」もそうだった。
- 活かさないのが惜しい
- 過剰に消費するのが惜しい
- 身の丈に合わない
- 恐れ多い
曖昧で、広く、柔らかい。
ところが、ある瞬間から、言葉が大きな物語に接続される。
環境。
持続可能性。
地球規模の倫理。
接続された瞬間、意味が固定され、方向が与えられ、「正しい使い方」が生まれる。
物語の磁場
物語には磁場がある。
- 正義の軸
- 未来への責任
- 道徳的優位
そこに言葉が組み込まれると、その言葉を使うこと自体が立場の表明になる。
「もったいない」と言うだけで、環境意識の側に立つ。
すると、語は気持ちよく流通する。
誰も損をしない。
むしろ安心が得られる。
気持ちよさの正体
私が反応するのは、意味の変化そのものより、言葉が気持ちよく消費される空気だったのかもしれない。
言葉が道徳的免罪符になるとき、議論は減り、問いが立ちにくくなる。
「もったいないでしょ?」
この一言で、議論は終わる。
軸の回転
元の「もったいない」は、潜在能力を活かさないことへの違和感だった。
しかし物語に接続されると、消費を抑制する倫理へ重心が寄る。
活用 → 抑制
軸が回転する。
私は、その回転が見て違和感を持った。
経済減速という仮説
「経済の減速を狙っているのではないか」とも思った。
物語の磁場が強いときに自然に浮かぶ推測。
ただし、意図を断定する必要はない。
観察できるのは、
- 言葉が倫理化された
- 抑制が正義になった
- 活用の語感が弱まった
という現象。
それだけで十分に興味深い。
なぜ止まるのか
私は、
- 活かす
- 内部に切り替える
- 潜在能力を引き出す
という方向に価値を置いている。
だから、抑制が道徳の中心に来ると、わずかな違和感が出る。
それは反対というよりは、強い磁場を感じて立ち止まる感じ。
言葉が物語に組み込まれると
言葉は、物語に組み込まれると強くなる。
強くなると、疑う必要がなくなる。
疑う必要がなくなった瞬間、私は立ち止まる。
言葉が気持ちよく流通しているとき、その背後にどんな物語があるのか。
私は、それを観察している。
さらに考察を続ける。
物語は思考を節約する
物語には、あらかじめ用意された枠がある。
- 何が善で
- 何が悪で
- どちらに立つべきか
が、最初から決まっている。
その枠に言葉が組み込まれると、「もったいない」と言うだけで正しい側に立てる。
考えなくていい。
これはとても楽だ。
それが人間の仕様だからだ。
道徳化は議論を短縮する
道徳語には特徴がある。
- 命
- 未来
- 子ども
- 地球
- 思いやり
これらは反対しづらい。
反対すると、人間性の問題として見られる。
すると議論は、内容ではなく立場になる。
あなたは地球を守らないのですか?
こうなると、思考ではなく、態度の表明になるし、場合によっては、強い圧力を生む。
気持ちよさのメカニズム
言葉が道徳化されると、
- 使うと安心できる
- 仲間に見える
- 承認が得られる
という報酬が生まれる。
脳は、承認を快と感じる。
すると、
考える → 不安
同調する → 安心
という選択が起きやすい。
批判的思考が止まる瞬間
批判的思考には、
- 一歩引くこと
- 枠を疑うこと
- 主語を確認すること
が必要。
でも物語が強いときは、枠を疑うこと自体が裏切りに見える。
ここで思考は止まる。
能力がなくなるのではない。
つまり疑うコストが上がる。
私が止まる理由
私は「場」を見ている。
空気の温度や、語の磁場に敏感。
だから、みんなが気持ちよさそうに同じ語を使う瞬間に、「ん?」と立ち止まる。
それは反対ではない。
思考の空間を確保している。
危険なのは何か
危険なのは、言葉そのものではない。
- もったいない
- 絆
- 思いやり
これらは本来、豊かな言葉。
問題は、それが物語のスイッチになり、思考の代わりになること。
文化が擦り減る感覚
文化とは、
- 多義性
- 揺れ
- 議論
- 解釈の幅
がある状態。
言葉が一方向に固定されると、その幅が狭くなる。
すると、文化は薄くなる。
私はそれを危惧している。