人は関わらなければならない事が少ないほど豊かである

常々、思っていたことで、知らず知らずのうちに、削ることを重視している自分がいるのに気づく。

  • 何かをやろうと思う
  • 計画を立てる
  • 実装する

そういう当たり前のことでも、

  • 何をやらないか決める
  • 急がないものは計画に入れない
  • 最小限の実装を優先する

そうすることで動きが軽やかになりスピードが上がる。

どうしようかと悩むこともなくなる。

アメリカの思想家 Henry David Thoreau(ヘンリー・デイヴィッド・ソロー)は、著書 Walden の中で、社会が作る過剰な義務や所有物に縛られることを強く批判している。

彼の考えは、

人は、所有物や義務を増やすほど自由を失う。
生活を単純にすればするほど、本当の意味で豊かになる。

これは、

  • 自分が関わる対象をできるだけ少なくすること
  • その代わりに自分の思考や自然との関係を深くすること

だ。

最近、自家用車を普通自動車から軽自動車に替えた。

大きい車ほど、

  • 駐車場所
  • 維持費
  • 燃料
  • 税金
  • 保険
  • 行動バターン

のような、見えない関係が増える。

大きい車から小さい車に替えるのは、単に大きなものを小さくするということではなくて、制約という鎖を軽くすることだ。

まだまだ多くの大きな鎖に繋がれているけれど、一つずつ小さく、できれば切断したいと思っている。

見えない鎖

見えない鎖は、

  • 支出

以外にも、

  • 義務
  • 地位
  • 生活空間
  • 人間関係

にもある。

減らす=寂しくなるではない

ついつい物事や人に囲まれていないと寂しさを感じがちな人間だが、

減らすほど世界が広くなる=自由が広がる。

時間と注意力が自分に戻り、摩擦が減るから。

減らすは失うことではない。

自由に動けることだ。

ZIKUUには機械や道具やAIなど、たくさんのものがある。
ここだけは削らない。
それらは、自由な暮らしを広げるための供給力になるからだ。

ZIKUUに息づく削る思想

私が5台目の木製ロードバイクの製作をしているとき、4台目のときよりも15%ほど工程を削った。
ギターを作るときは、余計な装飾を省くのが常だ。

そうすることで物事の骨格が見えてくる。

やらないことを決めることで、思考や判断をするときの摩擦が減り、本質的なところに注意が向くから。

余計な心配事が減るから、動き出しが軽い、動いてからも軽い、結果が早く出る。

今、開発しているZIKUUのシステムは、どれも責務から外れた豪華機能を入れていない。

その方が、全体として見ると美しい構造になるからだ。

人間関係も削る

ZIKUUは塾生をあまり増やしたくない。
生きるためにやっているZIKUUではあるが、食べるためにやっているわけではないから。
だから、当初から塾生が集まらなくても、活動を継続できるように設計している。

人が増えれば、摩擦が増えるし、本質的ではないことに時間を取られてしまう。
そうすると自由が減り純度が下がる。

幸い、私は人に囲まれていると安心する性格ではないから、孤独が怖くないし、行動のスピードと範囲を広げようと思うと、一人の方がやり易いことが多い。
とは言っても、一人でできないことは、他人と協力しなければならない。

だから、扉は常に開放して、周囲との接点は持ち続けるが、周囲に引きずられないように、人との距離を調整する場合もあれば、関係を完全に終えることもある。

本質を見ようとする

ZIKUUは本質を見ようとする人が集まるコミュニティーとしてやっていきたい。

枝葉末節に引きずられない人。

私はそういう人が信用できると思っている。

枝葉末節を語る人を観察していると、

  • 現実逃避をしがち
  • 責任回避をしがち

という傾向が見えることがある。

現実逃避型は、問題→見ない→枝葉の話になり、問題自体は残る。
責任回避型は、問題→構造をぼかす→誰の責任かわからなくするという動きになる。

保身のための狡さと言い換えてもいいかもしれない。
だから信用できない。

本質を見つめるというのは、実は、人間にとっては重い行為だ。
だから、ついつい本質から逃れようとする。
これは人間の仕様だから仕方ない面もあるが、それだけだと、わざわざ自分の自由を狭める方向に行きがちだ。


偉人たちが何をやらなかったか。
それをまとめた書籍を出版しているので、興味のある方は一度手にとっていただきたい。

https://amzn.asia/d/06iRtZC9

「人は関わらなければならない事が少ないほど豊かである」への1件のフィードバック

コメントする