感情は解釈だという話

神経科学者の Lisa Feldman Barrett の「構成主義的感情理論(Theory of Constructed Emotion)」

Lisa Feldman Barrett

感情科学と神経科学の分野で知られる心理学者。特に、感情は生得的な固定プログラムではなく脳によって構築されるという「構成された感情理論(Theory of Constructed Emotion)」を提唱し、感情研究の従来の見方に大きな影響を与えた。

ざっくり言うと、

  1. 身体が反応する
    • 心拍が上がる
    • 汗をかく
    • 胃が重い
  2. 脳がその状態を説明しようとする
  3. 経験、文化、記憶を参考にラベルを貼る
    • これは恐怖だ
    • これは怒りだ
    • これは恋愛感情だ

という考え方だ。

「怒ったから心拍が上がる」

ではなく、

「心拍が上がった状態を脳が怒りとして解釈した」

ということ。

William Jamesも、

「悲しいから泣くのではない。
泣いている身体状態を感じて悲しいと認識する。」

という方向だった。

William James

アメリカの哲学者・心理学者であり、近代心理学の確立とプラグマティズム(実用主義)の発展に大きく貢献した人物。心理学を独立した学問として発展させた先駆者の一人であり、今日でも感情研究や意識研究、宗教心理学に強い影響を残している。

これは100年以上続いている流れの一つだ。

私は、以前から、感情は後付けされたものだと思っていたので、興味を持って調べてみた。


意味は文脈から生まれる

ただ、すべてをこれで説明できるとは思えない。

感情の素材は生物あるいは哺乳類が先天的に持っているもので、感情の意味付けが後天的なのだろうと思う。

私は、

「意味は文脈から立ち上がる」

と言っているが、感情に対するこの意味付けは、身体状態だけでは生まれない。

同じ心拍数の増加でも、

  • レースの前なら「興奮」
  • プレゼンの前なら「緊張」
  • 熊に遭遇したら「恐怖」
  • 好きな人を会ったら「ときめき」

になる。

身体反応は似ているが、意味は文脈から生まれている。


自分観察のすすめ

私は、自分を観察することをすすめている。

怒りや不安を感じたときに、一瞬観察モードに入って、心拍、筋肉の緊張などを観察する。その上で、意味付けを行うようにする。

完全にはできないかもしれないが、できるだけそうするようにする。

すると不思議なことが起きる。

怒りや不安が消えるわけではない。
心拍が上がり、筋肉が緊張する。

だけど、冷静でいられる。

怒っている自分や不安を感じている自分を見る自分。

そういう自分を作る。

これをやると、

感情→行動

ではなく、

感情→観察→仮説→行動

になる。


感情は捨てないで利用する

怒りの感情は大事にした方がいい。

怒っている自分を観察する自分がいれば、その怒りのエネルギーを進歩に利用できるからだ。

例えば、

  • なぜこんなにイライラするんだ?
  • どこが引っかかっているんだ?
  • 本当は何を実現したいんだ?

と見ると、怒りの奥にはたいてい

  • 理想と現実の差
  • 制約への不満
  • 理解されないもどかしさ

みたいなものがある。

イライラしているのは改善の余地がある、別のアプローチがある、ということのシグナルになるし、前進するエネルギーにもなる。


モノづくりでの類似

実際、モノづくりを長くやっている人には似た傾向がある。

鉋が思ったように切れない。

接着面が決まらない。

CNCがビビる。

プログラムが落ちる。

その瞬間は腹が立つ。

でも経験を積むと、

「ああ、何か教えてくれてるな」

になる。

怒りが敵ではなく、センサーになる。

だから、感情は消してはいけないし、無かったことにもしてはいけない。


ZIKUUでの実際

ZIKUUでやっていることは、

観察し、疑問を持ち、仮説を立て、試す

の繰り返しだ。

これには、自分の感情までも含めて、観察対象にすることを含んでいる。

ギターを作るのも、ソフトウェアを開発するのも、実はそんなに難しいことではない。
難しいのは、自分観察を含めて、観察→疑問→仮設→行動を回せるかだ。

ZIKUUのシステムは、これと同じことをする。

イベントがある

アーカイブを保存する

文脈を抽出する

Factに投影する

PRE (Pivot Reasoning Engine) が推論する

AI塾長が意味付けする

イベントはWordpressへの投稿、Discordへの投稿、論文などのソース。

アーカイブはソースの原本保存。これは感情を一旦保存して捨てないということと似ている。

文脈を抽出して、Factに投影するのは、観測対象としての準備作業だ。

PREが推論して仮説を立て、AI塾長が解釈をする。

文脈が変われば、アーカイブの意味が変わる。
推論も解釈も変わる。
アーカイブを捨てなければ、何度でもこの流れを実行できる。

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