正しいことをする

政府効率化を推進する組織のトップで連日大活躍のイーロン・マスク氏のツイートです。

We will do the right thing.

私が以前勤めていた米国のソフトウェア会社で技術者の標語になっていたのがこれと同じ “Do the right thing”でした。

日本は外国のことを言えませんが、米国政治の腐りっぷりは凄いです。腐敗した政治を正常化するためにおかしなお金の流れを止める。これがイーロン・マスク氏が先頭に立って行っていることです。

聖徳太子にしても孔子にしても、歴史上の偉人賢人が唱えたことを裏返すと、人間や人間の組織は腐るということです。腐るから戒めるわけです。

腐る原因は色々ありますが、人々の心に潜む人間の弱点が一番大きな原因ではないかと思います。

もっとお金が欲しい、目立ちたい、有名になりたい、注目されたい、褒められたい

そういう欲がありますよね?

これ、不正を働く人たちのエネルギーになります。

もし人間の欲が、正しいことをしたいだったら、腐ることもないのでしょう。

ところが、正しいというのがなかなか難しくて、立場や状況によって変わってしまうことがあります。

「あなたにとって正しくても私にとっては正しくない」ということってありますよね。

立場に関しては、極力立場を去って考える癖をつけると良いと思います。ただし責任の所在については立場と繋げておかなければならない。

例えば、努力して成功したと自認している人は、成功していない大多数に人に対して「努力が足りない」と言いがちです。成功=努力じゃないことくらいわかっていても成功者の立場からついついそんな言葉が出てしまう。その人なりに努力するということを美しいとは思えない。

例えば、少子化問題があると「子供産んだら1000万円配れば良い」と言う人がいますが、子供が産める人の立場の発言ですよね。不幸にも子供が出来ない人が聞いたら嫌な気分になりそうです。

例えば、子育てと仕事の両立が大変だから託児所を増やして欲しいと言う人がいますが、それを言うときには、子供が託児所に預けられるのが嫌、お母さんと一緒がいいと思っているということは頭にありません。親の都合です。

例えば、地域振興に関する打ち合わせなどをすると、地域衰退の原因そのものの大人たちが自分たちの都合の良いことを言います。30年もすればこの世にいないかもしれない人たちより、30年後に社会で活躍する若者たちの意見を尊重したら良いと思いませんか。

立場が変わったら正しくなさそうなことを正しいと思って言うわけです。

高い次元・広い視野で「あるべき姿」を共有して、そこに向かうために適切な行為をする。正しいことをするというはそういうことだと思うんですね。

では、高い次元で広い視野を得るにはどうするか?

学ぶしかありません。

学び舎としてのモノづくり塾では、こういうことをいつも頭の隅に置いて活動し、自ら学び続けます。

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