最近、海外の大手IT企業が大規模な人員削減を行ったという報道がありましたが、どうやらこれはAI活用を前提とした人員整理だったようです。
私はローカルLLMに関心があり、できるだけ手元でLLMを動かしながら日々研究しています。とはいえ、ChatGPTのような商用サービスも時々使って、現状の把握に努めています。実際に使ってみると、その性能には驚かされることもあり、多少の正確性を妥協すれば、人間を凌ぐのではないかと感じることもあります。
もちろん、現時点のAIには「意識」や「心」はありません。「意識」とは、自分が何をしているのか、何をしようとしているのかを理解している状態だと思っています。AIが将来的に、自らの出力を振り返り、論理的に分析しながら回答するようになれば、意識を持ち始める可能性もあるかもしれません。そうなると、人間にとってはかなり手強い存在になるでしょう。私たちも、そういう時代の到来を視野に入れておくべき時期に来ているのかもしれませんし、そういう時代は目前だと感じます。
ところで、「情弱ビジネス」という言葉があります。これは、情報弱者に夢を見させて金儲けをする手法です。たとえば、「短期間でプロのソフトウェア技術者になれる」とうたうプログラミングスクールの広告を見かけたことはありませんか? 半年や一年で一人前になることは難しいにもかかわらず、そうした宣伝が平然と行われています。政治の世界でも、似たような手法で支持者を増やしている例があります。要は、「儲けのためなら良心は不要」という考えが根底にあるのでしょう。
「夢を見られたんだからいいじゃないか」とか「本人が決めたことなんだから問題ない」という声もあるかもしれませんが、私はやはり、若者を騙すような行為はやめてほしいと思っています。
AIの活用が進めば、真っ先に不要とされるのは、そうしたプログラミングスクールで短期間だけ学んだレベルの人たちでしょう。最近では「エンジニアはかっこいい」といったイメージが先行し、若者の中にもエンジニアを目指す人が増えていますが、その大多数はAIに取って代わられる可能性があります。
はっきり言っておきますが、そんな短期間で一流のエンジニアにはなれません。
そもそも、エンジニアの仕事は地味なものです。華やかさやかっこよさばかりが目立つものではありません。
AIによって代替されやすいのは、いわゆる「勉強ができる人」や「頭が良い人」であり、パソコンに向かって文字や数字を打ち込むような業務をしている層からでしょう。つまり、ごく普通に勉強してきた人たちが対象になります。
一方で、当面はAIを手足のように使いこなして高度な作業ができる人、あるいは3K職種(きつい・汚い・危険)と呼ばれて敬遠されてきた職業には、引き続き価値があるでしょう。むしろ、将来的にはプログラマーや弁護士よりも、土木作業員のほうが貴重とされる日が来るかもしれません。そして、AIに代替される人とされない人との間で、賃金格差が広がり、社会の分断も進行するでしょう。
私が運営しているモノづくり塾では、「アナログとデジタルの二刀流」が今後有利だと考えています。ただし、それを実現するには強い意欲が必要であり、そういう人に出会うことは滅多にありません。
私はソフトウェア技術者として35年以上、そして手を動かしてモノを作ることを15年以上続けてきましたが、それでもなお知識と技術の不足を感じ、毎日勉強しています。正直なところ、自信なんて持てません。だからこそ、寝ているとき以外はなるべく学びの時間にあてています。私のような凡人にとって、仕事から帰ってきてビールを飲みながらテレビを観るような生活では、到底、進歩は望めません。
以前、少子化対策についての提言を書きました。詳しくはそちらの投稿を読んでいただきたいのですが、若者が働きたくても職がない、結婚や出産の機会が減っている、そして貧富の格差が拡大している。今の状況は、かなり厳しいものだと感じています。
「このまま行くとこうなる」といった線形的な未来予測をするつもりはありませんし、できるとも思いません。ただし、すでに状況は芳しくないという現実は認識しておくべきでしょう。
地震が必ず起きるにもかかわらず、いつどこでどの規模で起きるかは予測できないのと同じで、社会における「地殻変動」も予測することはできません。でも、地震に備えることができるように、社会変動への備えも可能だと考えています。私の答えが「二刀流」であるのは、そうした思いからです。
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