ZIKUUでは、構造を見るということを強く薦めている。
世の中にはインテリぶった人が少なくない。
人は、あらゆることを知ることはできないし、知らないことの方が多い。
だから、自分は知らないことがたくさんある、という自覚の上で行動しなくてはならない。
中高生向けZIKUU基礎教科書の第1巻はエネルギーを扱っているが、これはエネルギーを構造で見ることが社会生活をする上で非常に重要だと考えるからだ。
この教科書の中では、エネルギー密度、エネルギー収支、用途適合性について、基礎的な解説をしている。
インテリぶった人たち
インテリぶった人たちが、ソーラーパネル、電気自動車に飛びついた。
そして、それらを自分のアイデンティティの一部にまでする人もいた。
○○さんは、環境意識が高い人、というラベルを欲しがる。
そうなってしまうと、もう、本当のことなんかどうでもいい、人の話なんか聞かない、という無敵の人になる。
これらは、
- エネルギー密度
- 物質のサイクル(製造から廃棄・再生まで)
などを考えれば、そんなに良いものではない。
冬は暖房で電気を食われ、渋滞でもすれば、家に辿り着けるか不安になる。そういうことを実体験して後悔した人は多かったはず。
インテリぶった人たちが、有機農法だ自然栽培だ自給自足だと言って、田舎に移住し農業みたいなことをする。
実際は、
- 生産量が少ない
- 品質がばらつく
- 売り物にはならない
- 自家消費で精一杯
- 作業時間は長い
努力をしても、
「その畑を耕す鍬や鋤」
は、自給できないから市場に求める。
金が必要だけど、売れるほどの野菜は作れない。
そうだ、自然教育ということにして、田舎に憧れる都会人を集めて体験ワークショップをやろう!
みたいな流れになる。
NPO法人なんかを作って、本題の自然栽培や自給自足ではなく、都会に住む人を相手に体験を売るビジネスをやっている。
職業が専門家した。
教育が専門家した。
科学技術の発展のおかげで楽になった。
そして、
- 家を建てられない建築士
- プログラミングができないコンサルタント
が増えてきた。
物理の壁に挑んでいるつもりでいるだけかもしれない。
知っているつもりでいるから、言っていることは立派。
意識高い系と呼ばれるのは、たいていこれ。
やっていることは、
- 知識の貨幣化(体験ワークショップ)
- ロマンの消費(自給自足、持続性)
- 知っているフリによる心理的安全
なのだ。
インテリぶるのはなぜか
インテリぶる構造はこういう感じだ。
1. 本物志向への渇望
- 自身が携わっているとされる「知的な」フィールドが、現実の物質的な問題解決に繋がっていないと感じている。
- 建築士やコンサルタントの肩書きがあっても、それが具体的な「モノ作り」や「持続可能なシステム構築」に結びついていないと感じたとき、「真に価値のあること=地に足のついたもの」への関心が強まる。
- 理論や知識を持っているが、それを現場で具現化するスキル(実務能力)が不足している場合、その知識を「証明できる」具体的なプロジェクトに傾倒することで、自己肯定感を得ようとする。
2. 価値観の転換と「倫理的消費/活動」への傾倒
- 大量生産・大量消費の社会に対する潜在的な不満や危機感がある。
- 単なる趣味ではなく、「自分は地球や未来に対して倫理的に責任を持っている」というアイデンティティを確立するための手段となっている。
3. 情報過多と「知っていることの陳列」
- 新しい概念やトレンドに対する知的好奇心が旺盛。環境問題やサステナビリティは、現在の知的な議論の最前線の一つであるため、それを「知っていること」「語れること」が、一種のステータスや知性の表明として機能してしまう。
物理の壁を知ることが知識
実際の農業もプログラミングも、物理の壁との戦いだ。
そして、その壁は高く硬く分厚いから勝てない。
物理法則には逆らえないことを知る。
それが知識だ。
昔、某外資系IT企業の面接を受けたときに、たまたま米国本社のコンサルタントがいるからと、面接に出てきて、上から目線で私に質問した。
IMAPやSMTPは何?
私は、それらをプロトコル規約を読み、Objective-Cで実装し、製品化をする経験があったので、その仕組みと実装上の難しさ、みたいなことを話した。
本社のコンサルタントからの追加質問はなかった。
仕組みの詳細を知らなくても、ITコンサルの仕事ならできるので問題はないけれど、知った顔をするのではなく、もう少し知に対して謙虚でいられないものかと思った。
面接には落ちた。
知識じゃなくて知性を
知性は知識量ではない。
知性を高めるには、
- 問いを抱えて続ける
- 一人でやる
- 自分の感情を観察する
- 思考の方向性を途中で変えられる
ということが必要になる。
よくわからない、モヤモヤする、そういう状態でも問いを立て続ける。
人を集めたり、他人とつるむこともなく、一人でも淡々とやる。
腹が立つ、不快だ、嬉しい、楽しいと感じている自分を観察してから行動に移す。
思い込みを捨てて、考えを変えられる。
これは、態度や姿勢と言っていい。
インテリというのは、本来、そういう態度や姿勢を持って、学び続ける人のことだと思う。
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