かつて日本には所得倍増計画というのがあった

かつて日本には「所得倍増計画」を掲げた政治家がいました。高度経済成長期の当時、その目標は単なるスローガンではなく、国家を挙げた実行計画でした。インフラ整備、輸出産業の振興、技術教育の拡充など、実際に国民の所得は着実に伸びていきました。
しかし現代では、同様の発言をする政治家が現れても、それが選挙向けのリップサービスに終わることが多く、国民の生活実感は置き去りにされています。

今日の日本社会には、中抜きやキックバックの構造が行政と民間の間に複雑に張り巡らされています。政府・自治体の外郭団体、業界団体、NPO、コンサル企業、士業、さらには広告代理店などが、書類上の「中間業務」を通じて公金を吸い上げています。これらの層は生産活動に直接関わらないにもかかわらず、行政予算や補助金を「仲介手数料」として得ています。結果として、本来ならば生産者や納税者に還元されるべき税金が、非生産的な中間層に流れ込む構造ができあがっているのです。
この構造を維持しているのは、既得権益層の政治的影響力です。彼らの反発を恐れるあまり、減税や制度改革は極めて難しくなっています。

本来、税金として集めた資金を補助金や助成金として再配分するくらいなら、最初から徴収しないほうが合理的です。そのほうが事務コストも削減でき、行政の透明性も高まります。しかし、その「再配分の過程」こそが利権を生む仕組みとなっているため、抜本的な見直しは行われません。

この30年間、日本人の実質所得はほとんど増えていません。むしろ社会保険料や消費税の増税によって、可処分所得は減少し続けています。その背景には、生産現場ではなく“制度の隙間”で利益を得る人々が増えたことがあります。さらに、海外の投資ファンドや多国籍企業が日本の規制緩和を利用し、自らに有利な制度を作らせるためにロビー活動を行うこともあります。結果、日本の資産と富が国外に流出しているのです。

一見すると善意に基づくように見える政策も、実際には中抜きの温床になっている場合があります。たとえば、待機児童解消、子育て支援、介護の充実といった政策は重要ですが、委託業務や補助金交付の過程で多層的な中間事業者が介在し、現場の支援よりも「制度の維持」に多くの費用が使われています。万博、オリンピック、土木工事、リサイクル、介護など、どの分野を見ても「中抜き」は日常的に行われているのが現実です。

たとえば、電気自動車の購入補助金。補助金は税金で賄われており、結局は他人の負担で自分の車を買っていることになります。こうした仕組みに違和感を覚えない社会になってしまいました。ソーラーパネル設置助成も同様です。「補助金ビジネス」が常態化し、公共の理念よりも“儲かる制度設計”が優先されています。
こうした構造を恥ずかしい、卑しいと感じる倫理観が薄れつつあるのではないでしょうか。

政治家や官僚だけでなく、私たち一般市民の中にも、無自覚にこの構造に加担している人は少なくありません。補助金申請、形式的なNPO活動、助成金頼みのビジネス——「仕組みの中で利益を得る」ことが当たり前になっているのです。まるで国家全体が幻覚の中で生きているような状態ですが、このままでは日本の社会基盤は崩壊しかねません。

いまこそ立て直しが必要です。そのための基本方針は、シンプルに言えば「デタラメを減らす」ことです。
制度を簡素化し、透明化し、責任の所在を明確にする。それだけでも多くの問題は解決に向かうはずです。


必要な改革の方向性(例)

  • 歴史教育の再構築(史実に基づく更新制)
  • 日本国憲法の位置づけの再検討(自主憲法の制定を含む)
  • 国家公務員法・地方公務員法の改正(責任と身分保障の見直し)
  • 放送電波のオークション制導入(電波利用料の適正化)
  • 家電リサイクル法の廃止と実効的な再資源化制度
  • ゴミ分別制度の抜本見直しと、毎日収集体制の導入
  • 消費税の廃止と直接税中心の税体系改革
  • 環境政策の科学的再検討(情緒ではなくデータで判断)
  • 電気・機械・数学・IT教育の強化(実践的技術教育)
  • 生産労働の重視と、非生産労働のAI自動化
  • 海外支援制度の見直し(国内投資優先)

教育と歴史認識の再構築

新たな歴史的知見が明らかになれば、教科書は柔軟に更新すべきです。もし学校教育がそれを担えないなら、民間や地域が補完する教育機能を整えるべきです。たとえば杉原千畝氏のように、個人の人道的行動とその背景を掘り下げ、「善意」と「現実」の関係を学ぶ機会を増やすことが必要です。


憲法と行政の矛盾

現行憲法はGHQ占領下で作られたものであり、自主制定の過程を経ていないという指摘があります。「無効」とは単に存在を否定することではなく、「本来の憲法としての正統性を欠く」という意味であり、その前提での議論が必要です。
また、憲法には「公務員は主権者たる国民全体の奉仕者である」とあるのに、国家公務員法では「官僚自身が公務員である」と定義されています。この法体系上の矛盾は、統治構造の再設計を迫る論点です。

個人情報保護法も、公務員や政治家の公的情報を「プライバシー」として過剰に保護する現状を見直すべきでしょう。政治的中立や帰化歴など、国民の信託に関わる情報は公開が原則であるべきです。


メディアと既得権益

テレビ業界は既得権益の象徴でもあります。売上に対して電波利用料が極端に安く、かつ新聞社との株式持ち合いによって報道の独立性が損なわれています。外資による影響も無視できません。電波の公共性を守るためには、オークション制の導入や、放送と新聞の資本分離が必要です。


リサイクルと環境政策の再考

かつて冷蔵庫の処分費は500円程度でしたが、今では数千円。差額は中間団体やメーカーの利権として消えている可能性があります。
また、ゴミの分別も形骸化しています。実際のリサイクル率は「業者への引き渡し率」であり、実質的には多くが焼却処理されています。「サーマルリサイクル」という名目で単に燃やすだけのケースもあります。

江戸時代の「もったいない精神」は、貨幣経済と石油文明の現代では通用しません。今の日本人一人当たりのエネルギー消費量は江戸期の1000倍にも及びます。
この状況で自然エネルギーだけに依存すれば、むしろ森林破壊や土壌汚染を招くことになります。環境政策を“善意の宗教”ではなく、科学と実証に基づく国家戦略として再設計すべきです。


未来への方向

エネルギー使用量を倍増させれば、生産も拡大し、所得も結果的に倍増する可能性があります。
そのためには、エネルギーを浪費するのではなく、「効率よく使う知恵」を社会全体が持つことが不可欠です。

また、文系・理系という区分を廃し、すべての国民が数学・物理・情報科学を基礎教養として学ぶ社会が理想です。すべての人が大学に進む必要はなく、むしろ形骸化した高等教育機関を整理し、職業教育・技能教育を重視すべきでしょう。天下り先のために維持される「名ばかり大学」は、若者の時間と税金を浪費しています。


結語

「所得倍増」は、再び実現可能です。
ただし、それは税金のばらまきではなく、制度の簡素化と知の再構築によってのみ達成されます。
「デタラメを減らす」——それは単なる批判ではなく、日本再生の第一歩です。

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