多くの人が、松下村塾や吉田松陰を伝説のように語る。
そこには、憧れや敬意、そしてどこか懐古の響きがある。
「今の時代には、あれほどの場はもう生まれない」と言う人もいる。
ZIKUUは時空。この名前を考えたときには、当然のこととして、松下村塾を含む歴史を想起している。
松下村塾は時代を動かした存在。時代を動かす志はあっただろう。ただ、それは次の時代から振り返らないと、その意義はわからない。
松陰たちが命をかけて「志」を語ったのに対して、私たちは、手と頭を使って「志」を形にしている。
ZIKUUは、松下村塾を懐古する場所ではない。
その精神を、現代の技術と哲学で更新する場所だ。
木を削り、鉄を曲げ、AIを設計する。
そのどれもが、ひとつの思想の表現であり、問いの実験でもある。
ここでは、思想は語るものではなく、実装して確かめるものだ。言葉だけでは終わらせない。
手の動きが思考の延長にあり、モノづくりが哲学の行いになる。
作業台の上で響く音は、ひとつの時代の理(ことわり)が生まれる音でもある。
言葉に終わらず、形になる哲学。
それが、ZIKUUの本質だ。
もし松下村塾の隣にZIKUUがあったなら、
きっと私は、夜の囲炉裏端で松陰と酒を酌み交わしながら、
こんなふうに笑って言っただろう。
「君たちは、思想や哲学を語ってるけど、
うちは実際に手を動かしてるからね。
面白いから、一緒にやらない?」