以前、転職の面接で、面接官に「あなたは何ができますか?」と聞かれて「課長をしていました」と応えたという笑い話を見たことがあります。
私の周りにも、似たような人がけっこういて、大学を卒業して、そこそこ大きな会社に就職して、決めれた仕事をし、帰宅するとビールを飲んでテレビで野球観戦、みたいな。
そして、私のようなモノづくりやソフトウェア開発をしている人間から見ると、
何もできない。
自分で決められない。
責任を取りたくない。
そういう感じ。
私は、たまたまモノづくり塾ZIKUUの塾長という役割がありますが、何ができるかときかれたら、いくつも並べることができます。ギターを作ってる、ロードバイクを作ってる、家を建ててる、家具を作ってる、ソフトウェアを作ってる・・・・たくさんある。決して塾長ができるとは言わない。
人間は群れを作るのが好きです。
群れの中にいる安心感が欲しい。
だから、周りの承認や許可に依存して、自分が何者であるか、自分が何をしたいかを引っ込めてしまう。
本人もそのことには薄々わかっているけれど、うまく立ち回るため、これが常識、これが効率的だと自己正当化をする。
つまり、周りの承認や許可という外的要因を、内部化してしまい、それ以降は、自ら喜んでそれに従うようになる。
他人の脚本を演じる憐れな役者。
考えることは、稼ぎを自慢し、持ち物を見せびらかし、いかに強がるか、いかにバズるか、みたいなことばかり。
以前、SNSで孤独は良くないよね的な書き込みを見たことがあるけれど、そんなことはまったくない。
むしろ周りに合わせない、自分の魂の声に忠実に生きる、自由を手に入れる際の痛みを受け入れる、そういうことの方が、孤独になっても美しい生き方だと感じる。
群れの中の安心感を求めて魂を腐らせる。
勝手に腐るだけならまだいい。
眼の前に、群れない人、自在に生きている人を見ると、それがまさに本来自分がやりたいことであることを見せつけられた気がして、恐怖し抵抗し攻撃さえする。
困ったことに、そういう子育ても行われている。
自由な雰囲気だけ
自立の気分だけ
個性的なつもりだけ
理想だけ
そんな教育が良いとさえ思っている。
孤独になっても自分の魂に忠実であること、自由の代償としての責任を引き受けることは教えずに。
自らの手で未開の荒野に道を切り拓く。
風あたりは誰も教えてはくれない。
しかし、その圧倒的な不確実性こそが、自分の人生を生きているという強烈な実感を与えてくれる。
もちろん、その道には数えきれないほどの失敗が待ち受けています。
しかし、群れのルールから解放されたら、失敗はもはや隠すべきものではなく、自らの足で道の領域を踏みしめたことの誇り高き勲章だ。
美しい孤独を。
美しい人生を。
楽しい失敗を。
「あなたは何者か」への1件のフィードバック