作業空間と知の空間

2026年7月24日金曜日の夕方。
コアサービスが本番で動き始めた。

Nerve、Context Pipeline Server、LLM Broker、Pivot。長い間積み上げてきた基盤が、一つの環境として動いている。
これらがZIKUUの中に知の空間を作りはじめたのだ。

一通りの困難な作業を終えたので

「少しのんびりしよう。」

そう思った。

しかし、いざ一段落すると、次々と新しいアイデアが湧いてくる。

Chatボットの文脈共有。
Zoneによる観測空間の切り替え。
文脈の新しい利用方法。

止まらない。

だから土日は、PCから離れることにした。

土曜日は、34度の晴天。

午前中は日陰だったが、昼からは直射日光の中で製材と薪割りをした。

チェーンソーで丸太を挽き、斧を振り、大ハンマーを振り続ける。

右手の感覚がなくなるまで叩いた。

63歳になると、こういう作業は正直きつい。

昔なら一晩寝れば回復したものが、今はそうはいかない。

それでも、木を切っている間も頭のどこかでは考え続けている。


現在、Context Bundleは約9000件。

金曜日から月曜日まで、GPUはフル稼働だった。

ニュース、教科書、研究メモ、Discord、WordPress、ZDL、ZRL(論文)、小説。

それらがすべて共通形式の「文脈」として蓄積されていく。

ここが面白い。

原文を保存しているのではない。

文脈を保存している。

だから、

教科書だけ読む。

ニュースだけ読む。

研究メモとDiscordだけを組み合わせる。

そんなことが自由にできる。

さらに、文脈を合成することもできる。

観測条件を変えるだけで、立ち上がる意味空間そのものが変わる。


一般的なRAGは、検索した原文をそのままLLMへ渡す。

だからコンテキストウィンドウは、原文でどんどん埋まっていく。

一方、ZIKUUでは違う。

一度だけ原文から文脈を抽出し、その後は文脈だけを読む。

プロンプトは小さい。

しかし意味は濃い。

これは、コンテキストウィンドウ不足を補うためだけではない。

Transformerは、入力されたトークン同士の関係から次を予測する。

無意味な文章や関係の薄い情報まで大量に渡せば、その関係まで計算対象になる。

だったら、先に意味を整理してしまえばいい。

Transformerの性質を考えれば、ごく自然な発想だった。


そもそも、こうなった理由は単純だ。

ZIKUUには、高価な計算資源はない。

ローカルLLMで動かすのが前提だった。

だから、

一度理解したものは、何度も理解しない。

GPUを毎回同じ原文の読解に使わない。

意味だけを再利用する。

そんな設計になった。

制約から生まれた工夫だったが、その工夫は単なる省メモリ技術では終わらなかった。

文脈という共通形式が生まれたことで、知識を組み替え、観測し、新しい意味を作ることまでできるようになった。


振り返ってみると、自分が作りたかったものはAIアプリではなかった。

現実世界と知の空間がフィードバックループで繋がる構造だった。

工房で木を削る、鉄を溶接する。

学生や塾生と議論する。

ニュースを読む。

その出来事が文脈となり、知の空間へ流れ込む。

AIが整理し、新しい視点を与え、また現実の行動へ戻っていく。

その循環を作りたかった。

ようやく、その形が目の前に現れた。


今、ZIKUUには二つの空間がある。

木を削る作業空間。

そして、文脈を扱う知の空間。

この二つは別々ではない。

現実で起きた出来事が知になり、知がまた現実を変えていく。

それが毎日繰り返される。

そんな場所になった。


コアサービスのソフトウェアのコードは約90万行になった。

数字だけ見れば、多すぎると思われるかもしれない。

でも今ならわかる。

必要だったのだ。

アプリを一本作るためではない。

現実と知が循環する環境を、本当に動くものとして作るために。

知識、文化、技術、記憶、継承が無理なく回る構造を作りたかった。

長年頭の中で考えていたその構造が、ようやく目の前で動くようになった。

派手な出来事ではないが、自分の人生の中では、とても画期的な出来事だった。


Chatボットが文脈を共有したらどうなるか。

人間が共同体の記憶の中でAIと対話することができる。
新しく参加したメンバーが、共同体の経験と会話することができるのだ。

観測空間を切り替えられたらどうなるか。

一つの共同体、一人の人間が、複数の観測装置を持つことができる。
一人で複数の研究室を持つことができるのだ。

私たちは、それらが可能になる知のプラットフォームを手に入れた。

モノづくりのアイデアをメモに残す。
今日やった作業の記録をつける。
設計図や仕様書を書く。
AIを使って調べものをする。

そういうことをするだけで、知のプラットフォームが背後で静かに文脈を抽出して積み上げいく。

これでZIKUUは、研究施設、教育施設、学習施設、生産施設の機能をすべて備えた空間になった。

私は、環境は人を育てると考えている。
ZIKUUにいるだけで、人は変わる。

ダグラス・エンゲルバートがAugmentで目指した「知的作業の増幅」は画面の中が中心だったけれど、ZIKUUはそこに工房が加わっている。

木を切ることも、コードを書くことも、研究することも、同じ循環の一部になっている。


ZIKUUが育てようとしているのは、木工職人でもAIエンジニアでもない。

「自分で未来を作る姿勢を持った人」だ。

簡潔に教育理念みたいなものを書くとこうなる。

ZIKUUは、技術を教える場所ではありません。

未来を自分で積み上げる姿勢を育てる場所です。

その姿勢があれば、木工を学んでもいいし、AIを学んでもいいし、農業をやってもいい。

何を選ぶかは人それぞれだ。

でも、「次は何をやってみよう」と前を向ける姿勢だけは共通している。

その姿勢こそが、私たち何年もかけて作ってきたものの核だ。

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