民主主義の崩壊と小規模共同体の必要性

民主主義というのは機能しているんだろうか。
社会が良い方向に進んでいない気がする。
そんな疑問を持つことがある。
今回は、民主主義の崩壊を防ぐには小さな共同体が必要だという話を書く。

民主主義の成功が生んだ逆説

近代社会は、民主主義と自由の拡大によって大きな成果を上げてきた。
法と権利によって暴力は抑えられ、経済は成長し、多くの人々が政治参加の権利を得た。

しかし、その成功の内部には逆説がある。
自由と理性が広がるほど、人々は伝統や権威を疑い始めるようになる。
しかし、国家や民族の神話、社会の階層、共同体のルールは、人同士の接着剤の役目も果たしてきた。
宗教、国家神話、社会的階層、共同体の規範など、社会を結びつけてきた多くの要素が、理性的批判の対象となると、結果として、民主主義は制度として成熟する一方で、社会を支えてきた接着剤を徐々に失っていく。

ヴィーコの文明循環

この現象を説明する古典的な思想が、Giambattista Vico の文明論である。

ヴィーコは文明が三つの段階を経て発展すると考えた。

神々の時代

社会は宗教と神話によって統合される。
人々は自然や神の力を恐れ、共同体は信仰によって維持される。

英雄の時代

貴族や戦士階級が社会を導く。
名誉や勇気といった価値が社会秩序を支える。

人間の時代

法、契約、理性、議論によって社会が運営される。
民主政治や市民社会が発達し、文明は最も成熟した段階に達する。

しかしヴィーコは、この段階の終盤に
「反省の野蛮(barbarism of reflection)」
が訪れると警告した。

理性が発達しすぎると、人々はすべてを疑い、共通の信念を持てなくなる。
社会的信頼が崩れ、文明は内側から解体されていく。

現代社会の分断

現代の民主主義社会は、この「反省の野蛮」に近い状態にある。

SNSや情報ネットワークによって、社会は常に議論と批判にさらされる。
権威や制度への信頼は弱まり、政治的対立は激化する。
これが日常的に見る光景になっているはずだ。

その結果、社会の共通基盤は徐々に消えていく。

かつて社会を支えていた

  • 国家
  • 家庭
  • 企業

といった中間的な共同体も弱体化しつつある。

これらは近代社会において、人々を結びつける重要な枠組みであった。
しかしグローバル化、個人主義、経済構造の変化により、その機能は徐々に失われている。

国家と個人の間の空白

国家、家庭、会社が弱くなると、社会構造は極端に単純化する。

それは

個人 ↔ 国家

という関係である。

しかし、この二者関係だけでは社会は安定しない。
国家はあまりにも巨大であり、個人はあまりにも孤立している。

人間が互いに顔を知り、信頼関係を築ける規模の共同体が必要になる。

小規模共同体という選択

その一つの形が、小規模な生産共同体である。

例えば、約十世帯程度のユニット。
家族を含めれば、およそ四十人前後の規模になる。

この規模であれば、

  • 互いの能力を把握できる
  • 信頼関係を維持できる
  • 分業と協力が成立する

といった条件が満たされる。

また、構成員は単一の専門職ではなく、複数の技能を持つことが望ましい。
専門化が進みすぎると、再び巨大な社会構造に依存しやすくなるからである。

多分野にまたがる仕事を分担することで、共同体は自立性を保つことができ、共同作業を経て信頼を醸成することもできる。

小さな文明単位

このような小規模共同体は、単なる生活集団ではない。
それは

生活
生産
教育
知識

を統合した 最小の文明単位 である。

巨大な国家や市場が不安定になったとき、社会の基盤となるのはこのような単位である可能性が高い。

結論

民主主義の危機は、単に政治制度の問題ではない。
それは社会を結びつけてきた共同体の衰退と深く関係している。

国家、家庭、会社といった枠組みが弱まりつつある現在、その空白を埋める新しい形の共同体が必要になる。

十世帯ほどの小規模な生産共同体は、その一つの可能性である。

民主主義が存続するかどうかは、制度の強化ではなく、人々が再び共同体を構築できるかどうかにかかっていると思えてくる。

家庭円満でいつも共同体と繋がっている。
問題解決も生活に必要なものの供給も、その中で対応していく。

私は、そんな形が理想だと考えている。

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