ある日、妻が焼き茄子の話を始めた。
最初は何気ない会話だった。
「美味しい焼き茄子を食べたい」
その話が何日も続いた。
そしてかなり真剣に、茄子を焼くための器具について調べていた。
車での移動中も、何やら静かにスマホの画面を見ている。
ChatGPTに聞いた。
Geminiにも聞いた。
AIを使った比較検討、ネット検索による製品調査を経て、最終的に、象印のマルチロースターという製品に辿り着いたようだ。
私は横で見ていて、
「随分長いこと焼き茄子のことを考えているな」
と思っていた。
そしてある日、妻がAmazonの商品ページを見せてきた。
私は思った。
「ああ、決めたんだな」
と。
そして、妻には内緒で、マルチロースターを注文した。
喜んでくれると思ったからだ。
後から聞いた話では、焼き茄子の話ばかりすると怪しまれるので、小出しにしていたらしい。
なかなか高度な戦術である。
その数日後、マルチロースターが届いた。
箱を開けた瞬間、問題が発生した。
大きい。
思っていたよりずっと大きい。
シンクの横に置いたら、まな板を置く場所がなくなった。
私は思わず心の中でつぶやいた。
「どうすんだよ、これ」
その時、突然、頭の中で何かが繋がった。
あっ!
そうか。
棚だ。
妻は数日前から、
「棚を作らなきゃ」
と言っていた。
だから私は、
「寸法を決めて、塾に行ったときに材料を探して作ればいい」
と気楽に言った。
その直後、塾に行ったときに、塾に転がっている材料を測っていた。
そして妻は、
「材料が足りなくて作れない」
と言った。
私は、
「そんなに大きな棚を作るのか?」
と思った。
ところが届いたロースターを箱から出した瞬間に分かった。
大きな棚はロースターのためだったのだ。
私はその瞬間、自分の思考について考え始めた。
私たちは毎日、目の前の事実を見ている。
しかし、本当に見ているのは事実(Fact)ではなく、事実の背後にある文脈(Context)だ。
焼き茄子。
ロースター。
棚。
まな板。
これらは別々の出来事ではなかった。
最初から一本の物語だった。
ただ、私は途中までその物語を読めていなかっただけだ。
そこで、さらに大きな気付きがあった。
私は最近、
「青い扉」
という言葉を使うようになった。
扉を開けると未来の可能性が見える。その瞬間を青い扉という言葉で表している。
青は、ZIKUUのイメージカラーだ。
ZIKUUの扉は青い扉になっている。(実際に青いわけではない)
小さなCNCルーターを見ると、それで大型CNCの部品を作る未来が見える。
↓
大型CNCを見ると、それで森林ローバーの部品を作る未来が見える。
↓
森林ローバーを見ると、それで森に分け入り山小屋を建てる未来が見える。
そうやって、扉を開くと、次の扉が開く。
だが今回、私は気付いた。
未来を見ることができても、すべての文脈が見えるわけではない。
見えていると思っていた文脈の手前に、もっと重要な文脈が隠れていることがある。
私は、美味しい焼き茄子が食べられると上機嫌な妻を見て、
「これでR7が少し近づいた」
(新しいバイクが欲しい。YAMAHAのYZF-R7が有力候補。勝手に購入を決めることはできない。妻の機嫌と家庭内の平和は重要。)
などと呑気なことを考えていた。
しかし実際に起きていたのは、棚プロジェクトの発生だった。
人間は文脈を読む。
だが、読める文脈には限界がある。
だから Contextual Computing が必要なのだ。
Contextual Computing とは、文脈計算という意味で、これまでのコンピュータープログラム概念とは違って、
答えを出す技術ではない。
検索する技術でもない。
推論する技術ですらない。
見えていなかった文脈を発見する技術だ。
そして、その発見の瞬間には共通の音がある。
「あっ!」
である。
焼き茄子から始まった話は、これで終わりではない。
必要は発明の母である。
そう言われている。
プラトンの時代、2400年前から語り継がれてきた有名な言葉だ。
この言葉を、
必要
↓
発明
↓
解決
という意味だと思う人が多いと思う。
しかし焼き茄子を観察していて気付いた。
実際には違う。
焼き茄子が必要になる。
↓
ロースターが必要になる。
↓
棚が必要になる。
↓
材料が必要になる。
↓
木工が必要になる。
↓
溶接が必要になる。
必要は終わらないのだ。
必要は次の必要を生む。
必要は発明の母ではない。
必要は必要の母である。
しかも、その構造はフラクタルだ。
どの階層でも、
必要
↓
解決
↓
新しい必要
が繰り返される。
そこで私はもう一つ気付いた。
発明とは何だろう。
ロースターを買うことだろうか。
棚を作ることだろうか。
違う。
発明とは、
「あっ!」
である。
世界の見え方が変わる瞬間だ。
棚を作ることは解決だ。
しかし、
「棚はロースターのためだったのか!」
は発見だ。
発明は解決ではない。
発明は発見である。
Invention は Discovery だったのだ。
2400年前の人々は、必要と発明の関係を見抜いていたのかもしれない。
そして2400年後の私たちは、その間にある人間の心理を少しだけ見始めたのかもしれない。
必要の先にあるのは発明ではない。
まず、
「あっ!」
がある。
認識の転換がある。
世界の見え方が変わる。
そして人は行動する。
私はPRE (Pivot Reasoning Engine) という仕組みを考えている。
PREで作りたいものは、
回答ではない。
知識でもない。
推論でもない。
「あっ!」
である。
これがContextual Computingの第一歩だ。
見えていなかった文脈が見えた瞬間は、小さな発見である。
シンクの横では、巨大なマルチロースターがまな板の居場所を奪っている。
妻は相変わらず、
「明日は茄子を買ってくる!」
としか言わない。
しかし私は知っている。
この話は焼き茄子の話ではない。
文脈の話だ。
そして、見えていなかった文脈が見えた瞬間の、
「あっ!」
という小さな発見の話なのである。
そのためにはContextual Computingというものが必要になる。
そしてそこから出てくる
「あっ!」
が、次の「あっ!」のきっかけになる。
私は、この認識が変わる瞬間が好きだ。