以前「地域振興政策に文明密度という考え方を取り入れる」という記事を書いた。
そこには、
文明は次のような要素によって成立する。
電力はどうする
水はどうする
通信はどうする
記録はどう残す
知識はどう積む
技能はどう継承する
修理はどうする
物流はどう接続する
教育はどうする
AIはどうする
小規模生産はどう回す
これらの組み合わせが、一定の密度で維持されるべきだ。だから、空き家、人、学校、病院の数は一旦忘れる。
人口が多くても、
修理できない
作れない
判断できない
継承できない
記録できない
観測できない
なら、文明として脆い。逆に、規模は小さくても、
多能工がいる
エネルギーを扱える
食料をある程度回せる
知識を保存できる
AIや計算資源を持つ
教育できる
修理できる
試作できる
なら、文明密度は高い。
と書いている。
ZIKUUでは、ギターや家具、建物、ソフトウェア、コミュニティを設計する上で、この文明密度を強く意識している。
人口密度が低くても、
- 発電できる
- 水を維持できる
- 工作機械がある
- 多能工がいる
- AIが動いている
- 文脈が保存されている
- 教育できる
なら、文明密度は高い。
ZIKUUが黙々と進めているものは、一見、関係なさそうに見えるものが並ぶが、文明密度の観点では一貫している。
- 工房 → 修理・試作・小規模生産
- レーザー・3Dプリンタ → 製造能力
- ギター・漆・革 → 技能継承
- CPS → 文脈・知識保存
- Gitea → 原本保存
- Nerve → 情報流通
- LLM Broker → AI計算資源
- Repository Explorer → 知識探索
- Pivot → 意味空間 塾 → 教育
これらは、文明を維持する機能を少しずつ埋めている。
設計指針としての文明密度
だから、新しく何かを導入するとき、
これは文明密度を上げるか?
という問いが立つ。
例えば、
- 新しい工作機械 → ○
- 文脈を保存する仕組み → ○
- 修理技術の継承 → ○
- 地域の物流改善 → ○
一方で、
- 人口だけ増やす
- 建物だけ増やす
では、文明密度はほとんど上がらない可能性がある。
地域振興ときいても、人口だけ、建物だけ、イベントだけみたいなのは、ほぼ効果がないだろうと思っている。
ZIKUUが複数連なると、冗長性が増すことで生存能力が上がる。
それがZIKUU村という考え方だ。
この村は、機能が結びついた共同体のことだ。
この村は、
- 教える機能
- 修理する機能
- 作る機能
- 記録する機能
- 計算する機能
- 継承する機能
- 観測する機能
が存在していればよく、全員が同じ場所に住む必要はない。
同じ場所にいれば都合は良いというだけだ。
だから、よく地方自治体が、移住推進、定住人口みたいなお題を掲げるけれど、それとは少し違う。
評価軸は飽くまでも、
- 必要な機能が揃っているか
- 機能同士が連携できるか
- 機能が継承されるか
- 一部が失われても維持できるか
だ。
自給自足や地産地消
自給自足という言葉は魅力的だし、多くの地域おこしに携わっている人が好んで使う言葉かもしれないが、現実には完全な自給自足をしている人間はほぼいない。
仮に野菜を作れても、
- 鍬は誰が作るのか。
- 鋸や鉋は誰が作るのか。
- 医療はどうするのか。
- 半導体や通信はどうするのか。
となると、結局は他者との分業に依存する。
家庭菜園を少し大きくしたようなことをやっても、それで自給自足を謳うのはロマンチックではあるけれど、実態としてはかなり弱い。
ZIKUUでは、
- 多能工
- ネットワーク
を重視する。
一人で全部やるでもなく、一つしかできない専門家を集めるでもない。
そして、供給力を持たないといけないが考える。
- 修理できる
- 作れる
- 教えられる
- 記録できる
- 計算できる
- 判断できる
これらの総体が供給力だ。
自給自足や地産地消ではなく、供給力という言葉を使った方がいいと思っている。
例えば災害で物流が止まれば、
- お金はある
- でも修理する人がいない
- 部品がない
- 発電できない
という状況は普通に起こり得る。
そのとき価値を持つのは、お金ではなく、
- 修理できる人
- 作れる人
- 判断できる人
- 情報を持っている人
という供給力だ。
供給力の束が文明密度であると言っても良い。
助成金や補助金
補助金や助成金についても、同じような構図がある。
制度そのものが悪いというより、「お金が入れば解決する」という発想になりやすい。
でも実際には、
- 人材が育っていない
- 技術が継承されていない
- 修理能力がない
- 知識が蓄積されない
なら、一時的に資金が入っても、長期的な供給力はあまり増えない。
逆に、少ない資金でも、
- 技術を覚える
- 道具を整備する
- 記録を残す
- 教えられる人を育てる
ことに投資すれば、供給力は積み上がっていく。
これが補助金や助成金を一切受けないと決めているZIKUUがやっていることでもあるわけだ。
あくまでも供給力という資産が積み上がるかどうかが評価の対象なのだ。
たくさん消費されているかどうかは評価の対象ではない。
消費は結果でしかない。
ZIKUUの供給力
ZIKUUが目指すのは、外部とつながりながら、自分たちでも循環を維持できる閉回路だ。
例えば、
- モビリティ:人・物・知識を運ぶ。
- エネルギー:工作機械、AI、通信を動かす。
- 水:生活と製作の基盤。
- 食・材料:人と製作活動を支える。
- 工作設備:修理・試作・製造。
- AI・計算資源:知識の活用と判断支援。
- CPS・Gitea:文脈と知識の保存。
- 教育:次世代への継承。
これらが相互に支え合うことで、一つの循環系になる。
文明を維持するには、物資だけでは足りない。
- エネルギーの循環
- 物質の循環
- 人材の循環
- 知識・文脈の循環
が全部必要だ。
だからCPSやRepository Explorerを作っていることも、工作機械を導入することも、実は同じ閉回路を構成する要素だ。
一見バラバラに見える要素は、その閉回路の部品ということになる。
ZIKUUが取り組んでいるのは、この中の足りないピースを埋める作業であり、必要だからやっていることばかりだ。
だから、ウェイティングリストは自然とできあがる。
一般にはデジタルと木工は別の世界と見られているが、ZIKUUでは両方とも「文明を維持する機能」として並列に置かれている。
ギター製作を教える
も
CPSやRepository Explorerを開発する
も同列なのだ。
そして、この閉回路が成立すると、「外部から何も買わなくて済む」ということではなく、外部との関係を主体的に選べるようになる。
必要なものは交換し、提供できるものは提供する。
そのとき共同体が一方的な消費者ではなく、供給者としても機能できる状態が、ZIKUUが目指している姿なのだ。
前述した閉回路の部品一覧と、現在のZIKUUの能力を比較してみれば、ZIKUUが今後何をやるのかも予測可能だ。
近い将来、発電機を作っているかもしれないし、森林に分け入るローバーを作っているかもしれない。
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