移住者のための支援金、移住者のための就職マッチングサービス、共創、スローライフ、都会と田舎をつなぐ・・・
最近、SNSではそういう広告を見ることが増えた。
そういうのを見るたびに、
無理だなと思う。
自然豊かな田舎でのびのびとした暮らし
そんなPRを見ることが多いけど、
- 歩いてコンビニや郵便局に行けない
- 草刈りや落ち葉掃除は大変
- 家庭菜園をやれば、イノシシやシカに荒らされ
- 寝ていると虫が顔の上を這う
- 風が吹けば土埃だらけ
良いことばかりではない。
林業や農業を軽く見てはいけない
後継者不足の林業や農業をすすめるものもあるが、そんなに都合よく就労者が増えるはずはない。
例えば林業は「チェーンソー使えます」ではできない。
- 何年もかけて体を作る
- 地域、森、木の癖を覚える
- 道具と機械に慣れる
- 季節のサイクルを掴む
- 小さな失敗を積む
のような蓄積が必要。
なのに、移住施策だと、
「自然豊かな地域で働きませんか?」
「未経験歓迎!」
のような軽い言葉が踊る。
農業や林業は、
- インフラ
- 土木
- 生体観測
- 機械整備
のような多能工の世界。
都会の暮らしに疲れた人が、横滑りで来てもできない。
自治体側も、本気で産業再構築しようとしているよりは、
- 空き家を埋めたい
- 人口減少を止めたい
- 補助金事業を回したい
- 数字を作りたい
が先に来る。
そもそも、地元の若者がやりたがらない仕事なわけで、軽い言葉で移住者を呼び込むのは罪じゃないか?
自分の子供がやりたがらない仕事を移住者にやらせたいのか?
高い進学率
今では、男女の4年生大学進学率はほぼ同じだ。
少子化の原因の大きなものの一つが、若年女性の流出だと言われている。
大学に行って、
- 情報処理
- デザイン
- 研究
- マーケティング
- 国際系
- 医療専門職
- IT
みたいな世界を見た若者に、
「地元の建築会社の営業事務どう?」
は刺さらない。
給料以外にも、
- 知的刺激
- 同世代コミュニティー
- 成長機会
- 会話の密度
- 価値観の近さ
も含めて都市部に吸われる。
地方はそこを「贅沢」と誤認しがちだが、実際には人間の認知環境の問題だ。
一方で、地方に戻ってくる人たちは
逆に地方に戻ってくる層は、
- 都市部の競争について行けない
- 大企業疲れ
- 人間関係疲れ
- キャリア破綻
- メンタル不調
- 生活コスト圧迫
などを理由とすることがある。
ところが地域維持に必要なのは、
- 体力
- 技術習得力
- 継続力
- 修理能力
- 対人調整
- 長期投資耐性
のような重い能力ばかり。
これ「都会で疲れた人」がやれますか?
都会で疲れた人の移住はお断りする。
それくらいの勇気が必要かもしれない。
地方に必要なもの
- 小規模製造
- 小規模物流
- 分散型IT
- 修理業
- 食料加工
- ローカルエネルギー
- データ管理
- 観測
- 教育
- 多能工
のような、新たな混成職で、「昔の地方」でも「都会のコピー」でもない。
社会の変遷
よく経済専門家みたいな人が、波の絵を書いて、発展と衰退、好景気と不景気が繰り返されると語るが、社会はそういう変化の仕方をしない。
実際は、上昇、安定、下降、再編成と変化して、その後は、前と同じ上昇ではなくて、まったく違うステージに変化する。80年前の上昇と今の上昇で、同じ考え方は通用しない。
例えば、ZIKUUがある上野原は、昔は養蚕が盛んだった。
鉄道が敷かれたときに、蚕が列車の音に過敏になるからと、町の中心部から離れたところに駅ができたそうだ。
JR上野原駅から町の中心部である上野原市役所は遠くて坂道しかない。
駅前にはホームセンターとスーパーマーケットがあるけれど、人流・商流・土地利用・住宅形成・商店街形成のすべてにおいて、駅周辺には活気がない。
駅と旧市街が滑らかに繋がらず、人が自然に歩きたくなる動線がない。
その結果、
- 駅前が弱い
- 回遊性がない
- 徒歩文化が育たない
- 商店が点在化
- 車依存化
- 若者流出
という流れになりやすい。
この「地形+交通+産業構造」の長期失敗を直視せずに、地方行政がやるのは、
- 移住促進
- イベント
- カフェ誘致
- アート
- 空き家活用
のようなことばかり。
それより、
- 小規模DC
- AI/ロボ研究
- 分散インフラ
- エネルギー拠点
- 小規模製造
- 実験特区
みたいな「新しい産業の物理基盤」を置く方が筋が良い。
上野原は、
- 東京圏に近い
- 電力圏的には悪くない
- 土地コストが相対的に低い
- 山間でノイズ分離しやすい
- 小規模実験をやりやすい
という特徴がある。
だから本来は、「ベッドタウン未満の中途半端な地方都市」を目指すより、
“実験と試作ができる辺境”
を狙った方が生き残りやすい気がする。
実際、AIやロボティクスは、巨大都市の真ん中より、
- 安い空間
- 改造自由度
- 音を出せる
- 夜間稼働できる
- 倉庫化できる
- 電力を引ける
方が重要だったりする。
あるいは、駅と市役所を結ぶ直線の道を作り、そこを生活動線として再接続する。
道路には屋根があって、徒歩や自転車で移動しても雨に濡れない。
電動アシスト自転車のシェアリング。
道路沿いには、飲食店、工房、修理屋、学習スペース、試作ショップ、物流受取店、サテライトオフィスが並ぶ。
仕事帰りに仲間と一杯やる。
学習スペースに入っていく人を見て興味を持つ。
買い物ついで、工房の職人たちの作業を眺める。
高齢者には、買い物や通院の便の良い場所を用意して移動してもらう。
車がなくても暮らせる。
この方が町全体に効くんじゃないか。
自治体に予算が足りなければ、企業城下町のようになってもかまわないから、民間の投資を受け入れればいい。
地域振興を文明密度という観点で考える
地方は縮退する。
高度成長期のような、拡大、新築、人口増、消費増、インフラ増は起きない。
これが大前提。
縮退期に必要なのは再編だ。
数の拡大ではない。
惰性で、
- とにかく移住者増やす
- 観光客増やす
- 商業施設作る
- イベントで盛り上がる
みたいな「成長期テンプレ」を繰り返してはいけない。
やりがちだけど。
そこで文明を持続可能な密度で再編成するという考え方を提唱する。
単なる「地域活性化提案」のような貧弱なものではなく、
- 人口減少
- 縮退社会
- インフラ維持困難
- エネルギー制約
- AI/ロボ時代
- 分散化
- 教育崩壊
- 技能継承断絶
まで織り込んだ、
「次の地方文明モデル」
だ。
地方の提案でよく登場するコンサル資料に書かれるような、
- KPI
- 観光
- 関係人口
- SDGs
- DX
じゃない。
量的な尺度じゃない、質的な尺度で文明密度を計測する。
コンサル屋さんの地域おこし実績作りに貢献しても、本当に地域が活性化しなければ意味はない。
そういうところは厳しく採点した方がいいし、何かをやった気にならないように注意した方がいい。
文明密度という秤
文明は次のような要素によって成立する。
- 電力はどうする
- 水はどうする
- 通信はどうする
- 記録はどう残す
- 知識はどう積む
- 技能はどう継承する
- 修理はどうする
- 物流はどう接続する
- 教育はどうする
- AIはどうする
- 小規模生産はどう回す
これらの組み合わせが、一定の密度で維持されるべきだ。
だから、空き家、人、学校、病院の数は一旦忘れる。
人口が多くても、
- 修理できない
- 作れない
- 判断できない
- 継承できない
- 記録できない
- 観測できない
なら、文明として脆い。
逆に、規模は小さくても、
- 多能工がいる
- エネルギーを扱える
- 食料をある程度回せる
- 知識を保存できる
- AIや計算資源を持つ
- 教育できる
- 修理できる
- 試作できる
なら、文明密度は高い。
文化密度も同じで、
- 歴史理解
- 技能
- 地域知
- 祭り
- 道具
- 言葉
- 作法
- 判断様式
が、どれだけ生きた形で残ってるかが大事。
ZIKUUが板倉工法で建屋を作った理由
板倉の良さは、単なる伝統美じゃなくて、
- 構造が理解しやすい
- 部材規格が比較的単純
- 加工再現性が高い
- 分解修理可能
- 地域材と相性が良い
- 局所交換できる
ところ。
つまり、
“長期維持に向いた構造”
になってる。
これは、修理しやすい、物流距離が短い、技能継承しやすい、ノウハウが内側に残る、生産性が高い。
こういう考え方は、
- モビリティ
- エネルギー
- AI
- 工具や機械
- ソフトウェア
- インフラ
すべてに適用できるし、ZIKUUが作るものは、基本的には修理性を高める方向で設計される。
これは縮退局面での合理性を考慮しているからだ。
質的な秤
同じ建物でも、
- 修理できるか
- 地域で維持できるか
- 材料を再調達できるか
- 技能継承できるか
- 分解できるか
- 用途変更できるか
を計測する。
例えば、これらのそれぞれに1〜10の点数をつける。
エネルギーについても、医療についても、交通についても、教育についても、同様に質的な設問を作り点数をつける。そういうワークシートを作ればいい。
データが用意できたら、ZIKUUのPivotサービスのようなものに投入して分析する。Pivotサービスは単なる集計マシンではなくて、意味空間を切り取る装置なので、こういう分析には適しているが、商品ではないので残念ながら売れない。なので、他のツールでやっても構わない。
Quality of Life
“Quality of Life”とは、本来は多面的な概念のはずなのに、実際にはかなり雑に使われてる。
多くの場合、
- カフェ
- 景観
- 自然
- スローライフ
- おしゃれ空間
- ワーケーション
みたいなイメージに還元される。
でも、人間の生活の質は、本当はもっと構造的だ。
例えば、
- 修理できるか
- 学べるか
- 作れるか
- 移動できるか
- 判断できるか
- 孤立しないか
- 技能を伸ばせるか
- 長期的に維持可能か
- 子供が成長できるか
- 老後に閉じ込められないか
みたいな、“生活構造の性質”が大きい。
ところがコンサル的な地方論は、
「気持ちよさの演出」
に寄りやすい。
なぜなら、その方が売りやすいし、短期で説明しやすいから。
でも、それは、本質的には、
「都市生活に疲れた人向けの商品パッケージ」
だ。
だから、
- 実際のインフラ問題
- 地域産業
- 維持コスト
- 高齢化
- 修理性
- エネルギー
- 技能継承
が見えない。
ここで提唱しているのは、
“生活の質”を、感情やイメージではなく、文明構造として評価する
こと。
例えば、
- 移動負荷
- 修理密度
- 学習密度
- 観測密度
- 生産密度
- 文化密度
- 多能工密度
- 再起動性
みたいな。
これは、QoLを否定してるわけじゃなくて、
「QoLを成立させる物理条件を見ろ」
という話だ。
実際、どんなに景色が良くても、
- 修理不能
- 移動困難
- 技能断絶
- エネルギー脆弱
- 知識空洞化
なら、長期的には生活の質は下がる。
逆に、多少地味でも、
- 作れる
- 直せる
- 学べる
- 支え合える
- 観測できる
- 再構成できる
なら、文明としての持久力は高まる。
最後に
Pivot Reasoning Engineが完成したら、モデルケースをいくつか作り、PivotサービスのPoCを兼ねて論文化と提言書作成まで進めてみたいと思っている。
コンサル頼み、自治体頼み、習慣をなぞるだけ、いつも同じ考え方。そういうことから一旦離れて、真剣に地域おこしに取り組んでいる方の応援はさせていだく所存です。
「地域振興政策に文明密度という考え方を取り入れる」への1件のフィードバック