違和感を消すための回り道

私はよく友人や知人に「生き急いでいる」と笑われた。

何かおかしいぞ

と思うと、その前後左右を確かめたくなる。
だから、いろいろなことをやってしまう。
それを短い期間に集中してすぐにやるものだから、生き急いでいるという表現になる。

近年、様々なことが簡単に答えを得られるようになってきた。

プログラミングを学びたければ、オンライン講座があり、YouTube動画があり、出版物やWebサイトでも学べる。
私自身もその恩恵を受けている。

ギターを作ろうと思うと、専用の工具や治具がたくさん売られている。
それらを使えば、ある種の加工は簡単にできる。
私自身もその恩恵を受けている部分はある。

ところが私が学んだのは、そういうものからではない。

  • ひたすらフルスクリーンエディタのソースコードを写経して、違うプラットフォームに移植する。
  • 電動工具を使わずに、手道具だけでなんとかする。
  • いくつも試作してみる。

そういうことを延々とやり続けてきた。

一見、回り道のようではあるが、

  • 本質を見る目
  • 抽象化する力
  • 変化を受け止める設計
  • 面倒なことをきちんとやる姿勢

が育つ。

特定の機能を開発するだけ、特定のアプリを開発するだけなら、Inference BrokerのようなLLMアクセスを抽象化する層を作らずに、直接アプリからLLM ProviderのAPIを呼べばいい。

ところが、Inference Brokerを作るという面倒を惜しまなかったのは、LLMを推論能力部品として利用したかったからだ。

わざわざLLM呼び出しを抽象化したことのメリットは後々効いてくる。

私が普段やっていることの中でも、

  • 鋸の歪み
  • 木の反り
  • ロードバイクの乗り味

全部、「何となく変だ」を見逃さない。

ソフトウェアでも同じで、

「何となくこのAPIは汚い」
「この責務は違う気がする」

という違和感が、良い設計への入り口になる。

プログラミング言語を扱う技術は短期間で変わったり不要になったりするが、

  • 本質を見抜く
  • 抽象を維持する
  • 面倒を先送りしない
  • 違和感を育てる
  • 変化を前提に考える

そういう姿勢は、それよりずっと長く使える。

だから癖になるまで、繰り返し練習した方がいい。

それはプログラミングだけではなく、木工でも、自転車でも、建築でも共通する「作り手の姿勢」だ。

ZIKUUが教えようとしているものは、「Python講座」や「木工講座」ではなく、そのもっと手前にあるものづくりの思考様式なのだ。

「なんとなく変だ」を感じるには、優れたものをたくさん見るといいと思う。

優れたもの、美しいものの中に身を置くと、違和感を感じる力が育つはずだ。

人を育てるには、手取り足取りする必要はない。

優れた場を用意するだけでいい。

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