境界を意識する

国境を越えて、人を移動させ、国家を解体させるという移民の兵器化という問題に多くの国が直面している。
日本も例外ではない。

この問題は私の論文「移民・難民政策のグローバル・ガバナンス化 ─ Global Compact for Safe, Orderly and Regular Migration(GCM)と大規模財団資金の構図から読み解く」に関連することを書いているので是非読んでいただきたい。

今回は一般的によくある境界を意識しないと議論が歪むという話を書く。

グローバリズムと自由貿易

自由貿易は基本的には交易制度の話で、「関税や数量制限などを減らして、国境を越えた取引を自由にしよう」という話だ。

一方、グローバリズムはもっと広くて、資本・企業・労働・情報・制度などを国境を越えて統合していこうとする考え方まで含みうる。場合によっては、国家主権や国内制度をどこまで国際的なルールに委ねるか、という政治的な問題にも入ってくる。

だから例えば、

「外国と自由に商売したい。でも食料・エネルギー・基幹産業の供給能力は国内にも残したい」

はまったく矛盾しない。

むしろ、自由貿易をかなり支持しながら、グローバルな最適配置には反対する立場が成立すること。

「安いところから買えばいい」と「互いに自由に交易しよう」は、似ているようでかなり違う。

前者を徹底すると国内の供給能力そのものが消えることがある。後者は、国内に供給能力を持った者同士が交易する世界でも成立する。製造業が弱くなった米国などを見るに、日本は米国の真似をしてはいけないと思う。

自立性という軸を持ってこの問題を眺めれば、この区別をするとかなり見通しがよくなると思う。自立と交易は対立しない。依存と交易も同じものではない。

境界の違いを無視して一緒に論じると議論を歪める。

これは単純化の罠だ。

他にもある単純化の構造

多くは、近接している概念を一本の軸に潰してしまうことで起きる。

たとえば「市場経済=資本主義」。市場は交換や価格形成の仕組みだけど、資本主義は所有、資本蓄積、企業制度などを含むもっと大きな構造。市場は資本主義以前にも存在した。

「民主主義=多数決」も同じ。多数決は意思決定手続きの一つにすぎない。民主主義には権力の制約、少数者の権利、言論、代表制、法の支配など別の軸がある。

「経済成長=豊かさ」もそうだ。GDPが増えることと、供給能力、可処分時間、生活の安定性、技能、社会関係資本などが増えることは同一ではない。

さらに面白いのが、

「効率化=無駄をなくすこと」

これもかなり危ない単純化だと思う。

冗長な電源、余剰在庫、予備の設備、複数の技能を持つ人、地域内に残された小規模な生産能力は、平時の効率だけ測れば全部「無駄」に見える。でも障害や災害が起きた瞬間、それが供給能力になる。

だから、

効率 ↔ 無駄
自立 ↔ 交易
国内 ↔ 国際
専門化 ↔ 多能化

みたいな一本の軸にしてしまうこと自体が怪しい。

もう一段抽象化すると、こういう単純化には共通して、「異なる階層の概念を同じものとして扱う」という構造も見える。

自由貿易は「交換のルール」なのに、グローバリズムは「社会や経済をどう編成するか」という上位の思想まで含む。それを同じ箱に入れて「賛成か反対か」にすると、本来は二次元以上ある問題が一次元になる。

この多次元の問題を一本の左右軸に射影してしまう感じがとても気持ち悪いが、残念ながら、人間は多次元の問題を多次元のまま扱うのが苦手だ。

これは私がPivot Serviceを作ろうと思った動機の一つでもある。

違う層の問題を一緒にするパターン

かなり一般的な「議論が壊れる型」が、違う層の問題を一緒に論じること。

たとえば自由貿易とグローバリズムなら、

制度・手段の層:関税をどうするか、輸入をどう扱うか
経済構造の層:生産拠点やサプライチェーンをどう配置するか
政治・思想の層:国家、主権、国境をどう考えるか

本来は別々に問えるテーマだ。

ところが全部まとめて「グローバル化」という一語にすると、

「自由貿易に賛成なんだから、生産の国際分業にも賛成なんでしょう」

みたいな変な推論が成立してしまう。

これは技術の話でもよく見られる。

「AIは間違える」から「AIは役に立たない」へ飛ぶ。
これはコンポーネントの性質からシステム全体の有用性へ層を飛び越えている。

逆に、

「このモデルは高性能」→「このAIシステムは優秀」

も同じ。モデル、Harness、データ、運用、人間との役割分担は別の層なのに、モデル性能だけでシステムを評価してしまう。

さらに社会問題だと、

個人の行動 → 組織 → 制度 → 社会構造

を混ぜるケースがものすごく多い。

個人に「もっと努力しろ」と言って制度上の問題を説明したり、逆に制度上の傾向だけから個人の行動を説明したりする。

これは単なる「単純化」より、レイヤー境界の消失と呼んだほうが正確かもしれない。

そして厄介なのは、同じ層の中で単純化するより、レイヤーを混ぜた議論のほうが、一見すると説明力が高く見えること。何でも一つの原因で説明できてしまうから。

軸は何か、どういう層があるのか。

構造を見て議論するのが大事だ。


ZIKUUでは構造を見るということを非常に重視している。
それがモノづくりでもソフトウェア開発でも社会活動においても大事だと考えるからだ。

なるべく早い段階から構造を見る目を持って欲しいという思いから、中高生向け基礎教科書を制作し出版している。多くの方に読んでいらだけるように、できるだけ安価に、できるだけ読みやすくなるよう配慮している。

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