道具が歴史を変えるという話

7年前にあるところで書いたことを書き直しています。

道具で歴史は変わるんですね。

歴史というと貴族や殿様のhis storyがほとんどです。1%の人が富の大半を持ち、残りの99%が収奪されるといった趣旨の文章を見ることがありますが、学校で教わる歴史がまさにそんな感じです。小説みたいです。
考古学だったり物理学だったり建築学だったり、歴史学以外の分野の知見があると歴史を面白く見ることができると思っています。

我々は権力に批判的であっても、権力にしがみついた物の見方をしがちです。物の見方が権力者次第だとも言えます。
その結果、被害者意識を持って不満が溜まりますが、その不満が自分の物の見方で作られているという自覚はなかなか持てません。

建物の構造を見るのが好きなので昔の建築物の写真などをよく見ます。平安時代の建築物を見ると気候が温暖だったんだなぁなんて考える。廊下が吹きっさらしですから現在の京都なら寒くて仕方ないでしょう。こういうことは歴史の授業では触れないことかもしれませんが、建築の視点を取り入れると当時の暮らしを想像できる面白さがあります。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉がありますが、その学ぶ歴史も歴史の教科書だけを読んでいてはあまり学びにはならないでしょう。人間が2000年も3000年も同じ過ちを繰り返しているところを見るとそう感じます。

縄文時代の暮らしに興味があっていろいろ調べているときに気がついたのは、蓄財が支配を作るということでした。蓄財ができるのは生産力が高くなって余剰生産が増えたからです。稲作が盛んに行われて、人々が一箇所に定住し、集団で作業をするようになれば、その集団を束ねる者が必要になりますし、集団生活の規範も作られていきます。幸い日本では奴隷という身分が作られなかったようですが、うっかりすると蓄財した者が農民を所有する奴隷制度のようなものが出来ていたのかもしれません。

生産力を高めたのは道具です。石器が鉄器に変わり生産力が高まりました。道具は歴史を変えてしまいます。

現代は鉄・石油・石炭の時代から情報・原子力・遺伝子の時代に移り変わったところです。歴史の変わり目なのだと思います。

今や多くの人がいくつものセンサーを搭載したコンピューター=スマートフォンを持ち歩いています。街はセンサーだらけですから、文字情報だけでなく映像や生体の情報も含めて多くの情報が瞬時に伝わります。
インドでは激安のスマートフォンを、イギリスでは数千円のコンピューターをばら撒いていますが、これは道具が変わったことを捉えた動きです。道具を上手く使うのが生き残る手段だと考えているからです。

コンピューターメーカーや情報サービス企業が自動車を作る。3Dプリンターで橋を架け家を建てる。コンピューターが言葉を理解し画像を理解するといった技術の基本はすでに出来上がっています。我々は道具が変わっていくのを目撃しているわけですが、実感は事実を後追いしますから、少し経つと変わったんだなと感じるようになると思います。

爆薬も使い方を誤れば大量殺傷兵器ですし、原子力も非平和的に利用すれば非常に危険です。これは包丁・自動車・AIについても言えます。道具をよく知ることが大事です。その上で「善き道具の使い手」になる必要があります。ZIKUUでやろうとしていることはそういうことです。一人ひとりが歴史を作っていることを意識してやって行きたいと思います。

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