批判と提案のあいだにある沈黙〜その1

「法定点検国家 ― 利権が地方を腐らせる」

法定点検や検査という名の制度が、全国のいたるところで行われている。
安全のため、安心のため――そう説明されるが、実際のところ、そうした団体の多くには元役所の職員が天下っている。
点検自体は数十分で終わる。それでも報酬は高い。10分で1万円。
形式と名目の裏で、ちょろい金儲けが身内で回されているのではないか、と感じることがある。

士業を紹介してもらうと、やはり元役所の職員が現れる。
天下りではないにしても、新規参入を防ぐ「見えない壁」になっているのは確かだ。
そうした仕組みの中で「法定」という言葉は、聖域のように扱われる。
誰も逆らえず、断れず、そして自由に参加できない。
それが今の制度の現実だ。

大荒れだった神戸の知事選を見ても、利権とマスコミ、官僚と政治家の力関係が露骨にぶつかっている。
だが、これは神戸だけの話ではない。
全国の自治体に、規模の違いこそあれ、同じ構造がある。
利権を維持するための制度、制度を守るための慣習。
その上に、地域社会の表面だけを取り繕う「仲良くしよう」という言葉が乗っている。

けれど、その「仲良くしよう」は、たいてい「俺たちに合わせろ」という意味だ。
無意識のうちに、古いネットワークの中で利害を守る言葉になっている。
「仲良く」の本音は、「俺たちを儲けさせろ」なのかもしれない。
実際に、金にならない約束は簡単に破られる。
人情よりも収益、義理よりも手間の損得。
そういう感覚が地方の空気を濁らせている。

そして、その構造は国にも通じている。
政治家も官僚も、地方と同じように「既得権の世界」で動いている。
変わらないのは仕組みではなく、そこに巣食う人の癖だ。
それが積み重なって、国全体がゆっくりと腐っていく。
地方が疲弊しているのは、制度のせいではなく、人の心の鈍さなのだと思う。

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